2019年6月7日(金)
『渋谷能』第三夜 喜多流

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクトBunkamura30周年記念「渋谷能」。第三夜の公演レポートをお届けします。

 

2019年5月27日(月)|事前講座

「渋谷能」第三夜は「正義」がテーマの能『自然居士』。佐々木多門師による講座は詞章と物語の進行がまとめられたプリントをもとに進みました。まずは自然居士(シテ)、人買いに身を売った少年(子方)、人商人(ワキ・ワキツレ)、そして雲居寺門前の者(アイ)という登場人物の紹介がありました。特に知っておきたいのが、主人公=自然居士の人物像です。彼はいわゆる有髪の僧(髪を剃らない僧)の青年で、芸を人々に見せることによって説法するという超スーパースター。若々しくて芸達者、かつその美しい姿で人々の心をグッとつかんだことでしょう。

『自然居士』に使われる能面も見せていただきました。喝食(かっしき)という面(おもて)で、額にイチョウ型の髪型が描かれています。これは成人男子であれば髷を結う、または僧侶であれば髪を剃るべき当時の風俗に反し、世俗を超越した存在として子供の恰好をしていることを表しています。また、自然居士の髪は本鬘(ほんかつら)といって人間の髪が使用されているとのこと。繊細で美しく結うことができるのだそうです。

物語の見どころは、一般に芸尽くしと言われていますが、佐々木師が特に推しているのは、自然居士が正義感から人商人から子供を取り返そうと対峙する場面。命のやりとりの丁々発止の展開は、自然居士と人商人、そしてシテ方とワキ方という能楽師同士の「対決」でもあります。もちろん、さまざまな趣向を凝らした芸尽くしも楽しみな場面です。クセ舞、簓(ささら)の舞、そして鞨鼓(かっこ)の舞。佐々木師は大水晶と扇を簓の代用として音を出すところ、さらには実際に鞨鼓を身に着けての舞を実演してくださいました。


▲「通常の」鞨鼓の舞を舞う佐々木師、地謡の佐藤師

説法のためではなく人商人から少年を取り戻すためですから、不本意ながらも芸を見せるという設定です。噴き出す感情をグッとこらえての舞は、どこか調子が違ってきます。「嫌々舞っているのだから、まともに舞ってはいけないという心がないと」という佐々木師。その上で、芸の達人が舞っているために面白く見せなければならないところが難しいのだそうです。講座では「通常の」鞨鼓の舞を見せてくれましたが、本番ではどうなるのかと見比べる楽しみができました。

講座の後は質疑応答タイム。熱心な参加者たちの深い質問に、人の「正義」とは何かと考えさせられる回でした。

*講師:佐々木多門(シテ方喜多流)、佐藤寛泰(シテ方喜多流)
*会場:セルリアンタワー能楽堂

2019年6月7日(金)第三夜 喜多流『自然居士』

解説に続いて『自然居士』の本番です。冒頭では、人商人であるワキ・ワキツレが登場し、買い取った少年を探しています。この曲のワキは、動きの少ない傍観者ではなく、人商人という一庶民として動き回ります。自然居士(シテ)との激しい“対決”もあるため、最後まで緊張させられる存在です。一方、東山の門前に住む者として現れた間狂言が、自然居士の説法があることを触れ回りました。ここで観客である私たちも、彼らの周囲の人々として物語に引き込まれ自然居士の登場を待つことになります。

幕の向こう側から聞こえる静かな「お幕」の声。いよいよ自然居士がやってきました。語りながらゆっくり本舞台へ進むと、用意された高座に着席。謡う間に現れた少年を門前の者が連れてきます。両親の菩提を弔うため、我が身しか売るものがなく身を捨てて身代衣を捧げる少年に大きく心を寄せる自然居士。周囲の者と共に涙を流します。そんな哀れな少年に思いを寄せるのも束の間、人商人たちが少年を探し当て容赦なく連れ去ります。怒りを覚えた自然居士の行動は素早いものでした。預かった身代衣をストールのように身にまとい、今日が説法の結願であることを振り捨てて追っていく姿に、青年らしい若々しさや剥き出しの正義感が伝わってきます。

櫂(かい)を持って琵琶湖からまさに舟を出そうとする人商人、そこへ追いついた自然居士とのやりとりが始まると、一気に緊迫した場面に変わります。互いに相手の言葉に被せるような勢いの物言いに、「周囲の人」である観客はハラハラしながら見守るしかありません。まさに丁々発止とやりあう両者に緊張感が高まってきます。ついには衣を放り投げて湖に入り込む自然居士。こんな切羽詰まった場面でも、シテの動きの美しさにハッと驚嘆させられてしまいます。

迫りくるシテに対してワキは、扇で櫂をバシバシと音をたて激しく叩いてみせます。これは人商人が少年を打ち据えていることを表現しています。少年を奪い返されるくらいなら自然居士の「命を取ろう」とまで言い切る人商人。買ったからには少年は自分たちのものであって返すいわれはないというのが彼らなりの理屈や道理なのでしょう。しかし、自然居士の熱すぎる義侠心にとうとう根負けした人商人は、芸と引き換えに少年を放すことを約束します。ただし、それなら徹底的に嬲(なぶ)ってやろうという魂胆です。もともと芸を見せて説法していた自然居士ですが、こんな場面で披露するのはあまりにも不本意でしょう。しかし善なる少年のため、背に腹は変えられません。嫌々ながらもやり通そうと立ち上がりますが、烏帽子を着ける所作にも無念さがにじみ出ているように見えます。


▲能「自然居士」佐々木多門、大日方寛(撮影:辻井清一郎)

「一段と烏帽子が似合いて候」などと嬲る気満々の人商人は、自然居士がひとさし舞っただけでは許さず、あれもこれもと注文をつけていきます。簓(ささら)が無くても簓の芸を所望し、終いには鞨鼓(かっこ)の芸まで要求します。簓を数珠と扇で代用し、これ以上はきりがないと言いつつも鞨鼓を身に着けて舞う自然居士には、正直、やってられないという気持ちがあったでしょう。それでも耐え忍んで舞うため、どうしても調子が外れていきます。前回の第二夜『熊野』でも、平宗盛に所望されて、気が乗らないまま熊野が舞う場面がありました。

今回の自然居士も、自ら喜んで舞っていないため、軽やかで楽しい舞というわけにはいきません。重苦しさをまといながら魅せる芸の数々は、観客にはどう映ったでしょうか。

芸尽くしに人商人が満足すると、自然居士は鞨鼓の撥(ばち)を打ち捨てて少年を取り戻します。シテとワキのスリリングな対峙と、まさに腹芸といえる芸の数々。少年が解放されて居士と共に去っていく姿に、結末を知っていながらも安堵の気持ちがこみ上げました。


▲能「自然居士」佐々木多門(撮影:辻井清一郎)

公演後は「渋谷能」恒例のアフターパーティー。舞台を終えたばかりの能楽師の皆さんと参加者が、飲み物や食べ物を楽しみながら、ちょっと興奮気味に感想や意見を交わす場面が見られました。