「翁」は「能にして能に非ず」。能の大成期より遥か昔、申楽が神社に所属していた時代の芸術的信仰から発したと推測される演目で、能の原点ともいわれます。現在でも諸能の冠頭に演じ、神魂を迎え舞台を清める儀式的な性質をもっており、能のなかで最も神聖視される特別な曲。翁は「とうとうたらり」と祝言の謡を謡いだし、千歳は「鳴るは滝の水」と謡い、千歳の舞を舞います。その間に翁は面(白式尉)を付け、天下泰平国土安穏の御祈祷として舞を舞い、万歳楽と謡って納めます。最後に三番叟の舞となり、躍動的な揉ノ段、次に面(黒式尉)を付け、五穀豊穣を祈る鈴ノ段の舞となって終えます。
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光源氏の正妻葵の上は、物の怪に憑かれて病床にある。照日巫女に占わせると、物の怪の正体は六条御息所の生霊であった。葵の上との車争いで恥辱をうけた御息所は、生霊となって従者の青女房とともに葵の上の枕元に立ち、後妻打ちの拳に出て、連れ去ろうとする。横川の小聖が呼ばれ祈り始めると、悪鬼と化した御息所は抵抗するが、祈り伏せられ、ついには成仏する。
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熊野の阿闍梨祐慶と同行の山伏は、諸国行脚の途中、陸奥の安達が原で宿を借りる。主の女は、浮世に生きる辛さを嘆きつつ、糸繰りの技を見せてもてなすが、折からの夜冷に留守中に閨(寝室)を見ないようにと言って薪を採りに出かける。山伏たちが閨を覗いたところ、そこには死骸が山と積まれていた。驚いて逃げる山伏を、本性を現した鬼女が追いかけ、違約を責めて襲い掛かるが、ついに祈り伏せられ、姿を消す。
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筑前の国、木の丸御殿の庭掃きをつとめる老人が、女御の姿を垣間見て以来、女御を恋い慕うようになる。それを知った女御は、池のほとりの桂の木に鼓をかけ、もしこの鼓が鳴ったら逢瀬をかなえましょう、と臣下に伝えさせる。老人は勇んで鼓を打つが、もとより鼓には綾衣がはってあり、鳴るはずも無く、思い余った老人は、池に身を投げる。老人の執心を慰めるよう臣下に勧められて池辺に至った女御は「波の打つ音が鼓の音に似る、面白い鼓の音だ」と狂気の態となる。そこへ池より老人の亡霊が現れて、今度はあなたが鳴らぬ鼓を打ってみよと責め迫り、恨みの言葉を残しながら再び池へ身を沈める。
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安房の国清澄を出て甲斐の国へ向う旅の僧が、従僧とともに甲斐の国石和に着くと、鵜使いの老人が現われる。旅の僧が老人に殺生を生業とすることを諭していると、従僧が、以前ここを通りかかった時にある鵜使いの宿に泊まったことがあると言う。その鵜使いは殺生禁断の場所で漁をした咎めを受け殺されたのだ、と老人は告げ、そのときの有様を語るが、最後に実は自分がその亡霊であると言い、鵜を使う様を見せると、その者を弔うよう僧に頼み、月の出とともに消える。僧が法華経で弔うと、閻魔大王が現われ、旅の僧を泊めた功徳によって鵜使いを極楽へ送ったと述べ、法華経を讃嘆し、去って行く。
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一条帝は、ある夜の夢で、名工三条小鍛冶宗近に御剣を打たせよとのお告げを受けたため、勅使を送りその由を伝える。突然の宣旨に驚いた宗近が、神力を頼りに稲荷明神へ祈願に出かけると、彼の前に一人の童子が現れ、君の恵みによって御剣は必ず成功すると言って宗近を安心させる。宗近が七五三縄を張った壇をしつらえ支度を調えて、祝詞を唱えて待っていると、稲荷明神が狐の姿となって現れる。明神は相槌となって御剣を打ち、表に小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を入れ、勅使に捧げた後、再び稲荷山へ帰っていった。
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寂照法師は修行のために唐・天竺に渡り、さまざまな聖地を巡って、文殊菩薩が住むという清涼山にたどり着き石の橋を渡ろうとすると、童子に制止されます。この橋は巾一尺もなく、下は千丈の谷底で、並みの行人では渡れない、文殊菩薩の奇特を待てと言い残して去っていく。やがて菩薩に仕える霊獣獅子が現われ、牡丹に戯れ舞い万歳千秋を寿いで獅子の座に納まる。華やかで勇士な祝言曲。
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信西の三男桜町中納言が、青陽の春の花盛りを名残り惜しみ、泰山府君を祀って花の命を延ばそうとしていると、一人の天人が降り、妙なる花の一枝を祈って雲居遙かに去って行く。そこへ五道の冥官・泰山府君が現われ、花を手祈った天人を通力で呼び出し、舞(天女舞)舞わしめ、自らは自在の通力をもって、わずか7日に限る桜花の盛りを、21日間に延ばす。
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肥後国阿蘇の宮の神主・友成は旅の途中、従者と共に播州国高砂の浦に立ち寄り、浦の景色を眺めていた。すると、木陰を掃く老夫婦が現れたので、有名な高砂の松はどれか、高砂の松と住吉の松は場所が離れているのに、なぜ相生の松と呼ばれているのかと問うと、老人はこれこそが高砂の松であると教え、たとえ山川万里を隔てても夫婦の愛は通い合うもの、実は自分たちは相生の松の精であると明かし、住吉で待つと告げて沖へと消えていく。老夫婦の後を追って、友成らが住吉に着くと、残雪が月光に映える頃、波間から住吉明神が姿を現し、千秋万歳を祝って颯爽と舞を舞う。
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まず、舞台に巨大な鐘が運び出されます。舞台をよくご覧いただくと天井には滑車が、奥の柱には環が取り付けられています。どちらも「道成寺」のためだけに用意された装置です。二つの装置を使って皆さんの目の前で100キロ近い鐘が吊り上げられるところからこの大曲は始まります。「道成寺」はこの鐘をめぐる因縁の物語なのです。昔、父の戯れの言葉を誤解して旅僧に恋した娘が、男に裏切られたと思い込み、蛇に化身して僧を追いかけます。水が増した日高川もなんなく渡りきり、僧が隠れた道成寺の鐘に蛇体を撒き付け炎を吐き出し、鐘もろとも焼き殺してしまいます。これが、道成寺の鐘にまつわる伝説で、「安珍・清姫」の説話として広まりました。能の「道成寺」は、この伝説の後日譚として描かれます。娘の怨念で鐘が溶かされた後、長い間道成寺には吊り鐘がありませんでした。しかし、久しぶりに鐘を再興し、今日は落慶法要を行うことになりました。怨念を恐れた住僧は能力たちに女人禁制を言い渡しますが、一人の白拍子が舞を見せたいと境内に入りこみます。満開の桜の下、舞を見せながら少しずつ鐘に近づいた女は、急変した音楽のうちに鐘の中に飛び込み、鐘を落としてしまいます。住僧により道成寺の鐘伝説が語られ、僧たちは祈祷を始めます。すると鐘の中より蛇体に変身した女が現れ、住僧との息詰まる戦いとなりますが、祈り伏された女は、鐘を焼くはずの炎でわが身を焼き、恨みを残して日高川へと消えていきます。
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所は駿河国の三保の松原。漁夫白竜が松原に上がり春の浦の景色を眺めていると、虚空から花が降り音楽が聞こえ、よい香りがあたりに漂います。見ると松の木の枝にこの世のものとは思われぬ美しい衣が掛かっているので、白竜はこれを取って帰ろうとします。すると天人が現れて、それは天人の羽衣と言って人間がたやすく手にするものではないと声をかけ、返してくれるように頼みます。白竜は衣の主が天人であると知って珍しがり、いよいよこれを返そうとしません。天人は羽衣がなくては天井に帰ることができず、かと言って下界に住むこともならず、悲しみにくれます。これを見てさすが痛わしく思った白竜は、話に聞いている天人の舞楽を見せてくれたならば衣を返そうと言います。衣がなくては舞うことができないと主張する天人に対して、白竜はさきに返してはそのまま天に上がってしまうだろうと疑いますが、天人の「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」という言葉に恥じて衣を返します。天人は羽衣を着て霓裳羽衣の曲を奏で、自分は月宮殿で舞って月の満ち欠けを司る白衣黒衣の天少女の一人であると教えます。東遊の駿河舞は、この時初めて人間界に伝わったのです。そして天人は月天子の本地大勢至菩薩を礼拝して舞い、数々の宝を降らせ、やがて富士の高嶺から天上へと帰って行きます。
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京の都は初秋の北山紫野の雲林院辺りにて、一夏安居の修行にいそしむ僧侶があります。安居も終わりに近づいたので、草花を取り集め立花供養を行っていると、一人の女が現れ、一本の白い夕顔の花を立て供養に加えます。僧が名を問うと、今はこの世には無いが、五条のあたりにすんだ夕顔である、とほのめかし、立花の陰に隠れ消えます。僧が女の言葉を頼りに五条のあたりに来ると、夕顔の霊が草の半蔀を押し開け姿を現します。夕顔の霊は、昔源氏の中将がここに訪れた際に、夕顔の花を差し上げたところ、源氏が一種の歌を詠じ、それが縁で契りを結んだことなどを語りながら、夜通し舞を舞っていますが、暁を告げる鶏の声や鐘の音が聞こえると、名残惜しげに半蔀の中に姿を消します。
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信濃国安田の荘司友治は望月秋長に殺害され、その家臣・小沢刑部友房は、今は江州野州(ごうしゅうやす)の守山で、甲屋という旅館の亭主に身をやつし身命をつないでいる。そこへ、弱々しい足どりの母子がやって来て一夜の宿を乞う。よく見ると、この母子こそ旧主・友治の妻とその子・花若であった。痛々しさに堪えぬ刑部は自らも名のって母子を元気づける。主従は互いに手をとり交わして再会を喜ぶ。一方、友治を殺害した罪で13年間も在京を強いられていた望月秋長は、落度なしとの判決を得て心も晴れやかに故郷信濃へと下っていたが、その日、偶然にも甲屋に宿をとる。宿の亭主・刑部はいち早く事情を察し、望月一行を泊めた旨を母子に告げる。刑部は、はやる花若を抑え、友治の妻を盲御前(めくらごぜ)に仕立て、謡や獅子舞などの芸尽くしにまぎれ、望月を討とうと、その計略をのべる。母が、一万箱王が親の敵を討った所を謡えば、花若は八撥を打ち羯鼓を舞う。やがて豪壮な乱序の囃子にのって赤獅子頭の小沢刑部が登場し、豪快かつ美しい獅子舞の秘曲を舞う。あまりの面白さに思わず盃を重ねた望月は、旅の疲れもあって、まどろんでしまう。その隙をついて、刑部は花若を促して積年の恨みを晴らし、本望を遂げる。
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鹿狩りに山深く分け入った平惟茂は、だれともわからぬ高貴な女性に呼び止められて紅葉狩の酒宴に加わる。優美な舞を見るうちに惟茂は酔い伏し、女はそれを見届けて姿を消す。八幡大菩薩の夢の告げによって女の正体を知った惟茂が目を覚ますと、神剣が置かれている。鬼神の姿の女が現れ、襲いかかってくるのを、惟茂は神剣を抜いて応戦し、ついに鬼を退治する。
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大名が太郎冠者を伴い狩りに出かける道中、毛並みのよい猿を連れた猿曳きに会う。かねて靭(矢を携帯するための道具)の皮を張り替えたいと思っていた大名は、その猿を譲れと言う。理不尽な頼みに、いったんは拒否した猿曳きだが、弓矢での威嚇に対抗できず、悲痛な思いで因果を含め、猿を一打ちに殺そうとするのだが…。緊迫から愁嘆、そして和楽への劇的な構成と展開を持った狂言の大曲。「猿に始まり、狐に終わる」という言葉がありますが、3~4歳の時にこの「靭猿」の子猿役で初舞台を踏む習慣があります。猿曳きが謡う猿唄は、中世から近世初期の小歌のメドレーです。
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修行をして帰国途中の山伏が、のどの渇きを覚えると、ちょうど道端に柿の木を見つける。取ろうとするが、手は届かず、石を投げても当たらない。とうとう柿の木に登って食べ始めてしまう。折りしも見回りに来た畑主は、木陰に隠れた山伏を見つけ、腹を立てつつも、からかってやろうと思い立つ。犬だ、猿だと次々に鳴きまねをさせられた山伏、ついには空飛ぶ鳶のまねをするよう言われて…。葛桶(かずらおけ)を柿の木に見立て、おいしそうに柿を食べる様子など、観客の想像力を掻き立てる、いかにも狂言らしい作品です。
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大名が新参の者を召し抱えようと言うので、上下の街道へ出た太郎冠者。道中で不思議な男に出会い、それが蚊の精とは知らずに連れて帰ります。相撲が得意というので大名は自ら相手をして相撲をとりますが、取り組むや否や、大名は刺されてふらふらになります。相手の正体に気付いた大名は、大団扇を持って…。
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子供が成人するので、黄金の熨斗付(ノシツケ)を作って与えようと太郎冠者に命じた主人は、鎌倉へ行って「かねのね」(黄金の値)を聞いて来るように申しつけます。「鐘の音」と誤解した太郎冠者は、鎌倉へ行って寺を巡って鐘の音を聞き比べ、建長寺の音がよいと定めます。主人の元へ戻った太郎冠者は、様々な擬音で鐘の音を表現してみせますが、あきれて聞いていた主人に「黄金の値」を頼んだのだと叱られてしまい、鐘の音を聞いてきた様子を謡い舞い誤魔化しますが、やはり叱られて終わります。
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播磨の印南野を通りかかった鎮西ゆかりの男に、鬼が襲いかかります。この機会に姫鬼に人間の食い初めをさせようと考えた親鬼に言われ、姫鬼は男に襲いかかりますが、逆に男に叩かれて泣き出す始末。男は、姫鬼と力比べをして負けたら食べられることを提案し、腕押し、すね押しの勝負をします。どちらも男が勝ったので、今度は首引をすることに。またもや姫鬼が劣勢となり、ついに一族総動員で姫を加勢します。親鬼が懸命に応援するも鬼たちは引かれていき、最後には将棋倒しになります。
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見物左衛門と名乗る男が深草祭へ出かけ、途中で九条の古御所を見物します。競馬(くらべうま)が始まり、その乗りぶりや落馬するさまを楽しみ、ついでにのぼり出し(棹の先につけた飾り)をながめます。さらに相撲見物に行って、自ら相撲を取ることになるのですが…。情景を描き、相手を彷彿とさせるよう演じなければならない老練な技術を要する一人狂言です。
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太郎冠者は、昨晩主人から預けられた土産物の三つ成りの柑子(みかんの一種)を持ってくるよう催促されますが、すでに三つとも食べてしまって出すことができず、一つ一つ言い訳を始めます。だんだん調子に乗ってきた太郎冠者は、鬼界ヶ島に取り残された俊寛の話まで引き合いに出して言い訳しますが…。
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佐渡の国の百姓と、越後の国の百姓が都へ年貢を納めに行く途中で出会います。いろいろと話すうちにそれぞれのお国自慢となり、越後の百姓が、佐渡は物が無くて不自由だろうとからかうと、佐渡の百姓は不自由などないと反論します。それならば佐渡に狐はいるかと尋ねられ、佐渡の百姓は、狐はいないにもかかわらず、いると答えてしまいます。二人は互いの所有する刀を賭けて、この判定を都の奏者(役人)に裁いてもらうことに。都に着くと、佐渡の百姓は奏者に賄賂を贈って有利な判断をしてもらうよう頼みますが…。
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旅の出家が、宿を乞うて断られてしまいます。出家は思案して笠だけを預け、こっそりと宿に入り込んでその笠をかぶって座りこみます。宿主に咎められると、この笠に宿を借りたのだと言い訳をします。それを面白がった亭主は、出家に宿を貸すことにします。酒を勧めるうちに酒盛りとなり、出家は宿主に「地蔵舞を見まいな」囃させて、調子よく足拍子を踏んで地蔵舞を舞います。
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「末広」とは、閉じた時にも先が広がっている扇子のことで、古来よりめでたさの象徴とされています。主人の言いつけで都へ「末広」を買いに行った太郎冠者ですが、実は「末広」が何なのか知りません。しかたなく「末広はありませんか」と呼んで歩く太郎冠者に、怪しげな都の男が近づいて、自分こそ「末広」を商う者と名乗り出ます。「上質の紙」「上細工の骨」「丈夫な要」「さっぱりした戯画」という主人の出した四つの条件を満たす、男の出した物とは…。都への憧れから、男の言うことをすっかり信用し、大変な失敗をしてしまった太郎冠者。しかし、都の男は太郎冠者に「おまけ」をつけてくれました。それは、都ではやる流行歌、この歌が太郎冠者の危機を救います。芸能は人の心を和ませ、幸せをもたらすもの、そうした願いが込められています。
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太郎冠者の主人が明日、伊勢参りをすることになりました。お供はもちろん太郎冠者です。主人はかねてより、伯父さんと一緒に伊勢参詣に行くことを約束していましたので、一応誘ってみることにします。「突然のことなのできっと断るだろうし、お供が太郎冠者だと解れば餞別をくれるだろう。そうなるとお土産の心配をしなければいけない。だから、お供だとは決して言ってはいけない。」と言いつけて太郎冠者を使いに行かせます。案の定、伯父さんは急なことなので同行を辞退しますが、お供をする太郎冠者に門出の酒をふるまいます。酔いがまわった太郎冠者はケチな主人のグチを言い、良く気が付く伯父さんを誉めちぎります。餞別に素袍をもらい、お土産の約束までして上機嫌で帰途につきます。一方、戻りが遅いので迎えに出た主人は、すっかり酔っ払った太郎冠者に腹を立てますが…。
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付け酒を買ってくるように主人に命じられた太郎冠者ですが、支払いがたまっているため酒屋は酒を売ってくれません。そこで太郎冠者は、津島祭でみた千鳥を捕る様子を調子よく話しだし、その隙に酒に近づき持ち去ろうとしますが、亭主に見咎められます。今度は山鉾を引く様子や、流鏑馬などを話し、最後には馬に乗る真似をしながら走り回り隙を見て酒樽を持ち帰ります。何とか酒を手に入れようと、祭りの様子を身振りをまじえて演じる太郎冠者の奮闘ぶりが見どころです。
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ある男から説法を頼まれた僧。自分の話が退屈なことを知っている僧は、説法を引き立たせるため、小布施の半分を渡す約束で、何を聞いても感激して泣く尼に同行を頼む。しかし万事準備が整い、いざ説法を始めると、尼は泣くどころか居眠りを始めてしまい…。ありがたいお話しほど眠くなってしまうのは、今も昔も変わらないようです。基本的に狂言の女性は素顔で演じられますが、酷女と老女に限って面をつける決まりで、ここでは「尼」という狂言面を使用します。
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毎年、年の暮れに誘いにあわせて福の神に参詣に来る二人の男が富貴を祝願し、「福は内へ。鬼は外へ」と囃して豆を打っていると、明るい笑い声が聞こえて福の神が現れます。神は熱心に参詣する二人に喜び、お神酒を初望し、日本中の神、とくに酒奉行の松尾明神に供えます。神は、富貴を願う二人に秘訣を謡いながら授けます。早起き・慈悲・夫婦愛・隣人愛を説き、なお福の神には特別にお神酒を供えよと大笑いして去ります。幸せになる秘訣を授け、朗らかに笑う福の神の姿は、観る人々にも祝福を与えます。
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山から帰ってから弟の太郎の様子がおかしいと、兄が山伏に加持を頼みに行きます。山伏は、兄と共に弟の元に行き、さっそく祈祷を始めると、太郎は「ホーホー」と奇妙な叫び声を上げます。これは梟が憑いたに違いないと、また祈りだすと、そのうち兄までが叫び始めます。忙しく兄弟を祈り廻りますが、効きめはなく、ついに山伏は倒れてしまいます。兄弟が鳴きながら去ったあと、ゆっくり起き上がった山伏も、同様に「ホーホー」と鳴きながら去っていきます。
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野遊びに出た二人の大名が、臨時に太刀を持たせ供にする者を探していると、これから使いに行くという男が通りかかったので、無理矢理に太刀を持たせてしまう。大名に従っていたものの次第に腹がたってきた男は、大名たちを油断させてから不意に太刀を抜いて脅し、小刀や素袍を取り上げてしまう。二人の大名は男の言うままにして、何とか取り戻そうとするのだが…。次第にエスカレートしていく男の要求に一所懸命応える大名は、哀しくも可笑しい姿に映ります。
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召使いの太郎冠者と次郎冠者に留守を頼むことにした主人は、桶を持ち出し、この中には附子(トリカブトという草から製した毒薬)が入っているから、大切に番をせよといいつけて外出します。二人は気になって仕方がありませんが、附子のほうから吹く風に当たっても減却する(死んでしまう)と言われているので、扇で仰ぎながら近づき、とうとう一口食べてしまいます。するとそれは…。小学校の国語の教科書にも取り上げられ、一休とんち噺にもなっている、お馴染みの作品です。
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自宅に持仏堂を建てた田舎者が、お堂に収める仏像を買い求めに都へ行きますが、なかなか仏師をみつけることが出来ません。そこに現れ自分が仏師だと嘘を付いた都のすっぱ(詐欺師)は、仏像は翌日出来上がるから取りに来るよういいます。翌日、田舎者が出来上がった仏像を拝みに行くと、なにやら印相がおかしい。手直ししてもらおうと仏師を呼ぶと、あわてて現れた仏師がすぐに「直った」と答えます。田舎者が再び見に行くと、やはり気に入らない。また仏師を呼ぶと、大変あわててあらわれる仏師。実は、仏像も仏師がなりすましていたのです。田舎者の「印相が気に入らない」と、仏師の「直った」が繰り返されていくうちに…。
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主人の恋文を届けに行く太郎冠者と次郎冠者。交互に持ったり、竹に結び付けて二人で荷うなどするうち、ついつい文を開いてしまい、奪い合って読むうちに引き裂いてしまいます。ちぎれた文を扇であおぎ、「風の便りに届け」と小歌を謡っている所へ主人がやって来て…。
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自分の留守中に二人の家来が、蔵の酒を盗み飲むと知った主人は、そうさせまいと太郎冠者の両手を棒に、次郎冠者の手を後ろに縛って出かけてしまいます。が、どうしても酒が飲みたくて仕方がない二人。 縛られている手をもぞもぞ動かし協力し合って何とか酒を飲もうとするのですが…。
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