2013年7月21日「能に親しむ-関の西・東-」

京都・観世流と、東京・喜多流。異なる流儀の能楽師が、同じ舞台で競い合う「立合い」形式で開催した2013年7・8月の連続企画「能に親しむ-関の西・東-」。7月21日の公演から、アフタートークの様子をお届けします。

<アフタートーク出演>
観世流:片山九郎右衛門(片)、味方玄(味)/喜多流:友枝雄人(友)、狩野了一(狩)/司会:金子直樹(能楽評論家)
※以下出演者名は( )内略称で表記

 

―  これまでに何度か「能に親しむ」シリーズを公演されてますが、始められたきっかけをお聞かせ下さい。

友: ご縁がありまして、色々とこちらで企画させていただく機会がありましたので、200人の観客を前にして、私ども若手の能楽師が何をできるかと考えた時に、同世代の能楽師と何か切磋琢磨してやれる舞台を作れたら、というのが最初のきっかけですね。

― 今回あえて観世流、しかも、京都からお呼びになった理由を伺えますか。

友: 片山さん、味方さんの舞台はこれまで何度も拝見してまして、若い頃から常々刺激を受けてはおりましたが、最近は、片山さんは東京でも大きな舞台に立たれていますので、どこか腹の中ではこういう機会があれば、とはずっと思っておりました。先ほども楽屋で話してたんですけれども、20代の頃から、こういった見せあう機会があったものですから、40歳を過ぎて世代が上がった時にもう一回、意識しあえる場所があれば、ということは思っておりまして、なかなかこういう舞台は簡単にはできないと思うんですけれども、京都の皆さんも囃子方からすべて同世代の方々を呼ぶことができ、今日を迎えられたという感じですね。

― 最近、同世代でのジョイント、立会いといった場を設けようという意識が、若い方の中から出てきているような気がします。ただ、同じ東京ではなく、関西から皆さん呼ぶとなると大変なことかと。そういうオファーを受けて九郎右衛門さん、どのように感じられましたか。

片: 京都から呼んでいただいていいのかな、という気持ちがありましたね。ただ、嬉しかったです。合同養成会(※能楽師の子弟・研修生が東西合同で行う発表会)というのが、もう50年近くございまして、10代の初めぐらいから出させていただいてたんですが、その中でも喜多流の若手の人はとにかく皆さん、上手でした。関西の言い方ですけれども、スッとしてるというか、気持ちのいい舞台。自分たち若手にとっては、憧れの喜多流でした。当時の楽屋は、今のようにジョイントできるような雰囲気ではなくて、島のように各流儀の楽屋がありまして、敵陣地みたいになってましたので(笑)、しゃべるきっかけが欲しいと思いながらも、お互いの芸を見ながら、盗みあいながらさせていただいて、いつかは(競演できれば)なあ、という感覚はございました。その後、皆さんとお話する機会もでき、年月を経てきたんですけれども、まさかこのような形で舞台に立たせていただくとは、思いもよりませんでした。ただ、一緒に出ることへの「違和感」というのは無かったように思います。心のどこかで繋がらせてもらえてるなあ、ということは、ずっと思っておりました。

― 昔は異流競演というのは大変なことだったと思います。今日も最初に「鵺」の舞囃子がございましたが、舞台の上からピリピリとした雰囲気が出ていました。いつもと違うなという印象でしたが、狩野さん、味方さん、いかがでしたか。

狩: いまおっしゃられたとおり、養成会時代の、楽屋のピリピリした雰囲気というものを経験してましたから、それがトラウマみたいに残ってまして。立会いとなるとあの頃を思い出してつい、余計に緊張するというか。普段とはまた違う緊張感の中で勤めさせていただきました。

味: 養成会あの頃は、舞囃子が20番ほど出まして、宝生流も金剛流も喜多流も観世も金春さんも舞うので、皆が刺激をしあって見てるんですね。しゃべらないんじゃなくて、興味津々で見てて。同年代がほんとに生き生き舞ってるように見えました。他の会でも何度かご一緒させていただいてますけども、狩野さんが来られて舞ったり、呼んでいただいたりした時には、当時のままのピュアな、新鮮な刺激があって、とてもいいと僕は思います。

― 今回、三輪と阿漕という演目を、袴能という形で選んだ狙いは?

友: 企画した時は、観ていただく方に楽しんでいただけたらと思ったんですけれども、片山さんには申し訳なかったんですが…袴能というのは、やるもんじゃないなというのが正直、終わったあとの率直な感想で、今はその後悔が立ってますね(笑)。ただ、流儀の違いを分かっていただくためには、謡(うたい)以前に体の構えから全く違うこともありますので、私どもは、体の使い方の違いがあるんだというのは分かっているんですけれども、袴能でそういう骨組みを出すことによって、その違いをみていただくというのがひとつ。その場合に人数ものを出しても効果がありませんので、ワキも人数があまり出ず、夏ですので海辺の「阿漕」と、時期的にも先取りの秋で「三輪」が思い浮かんでご相談申し上げたら、それは良いんじゃないかということで。囃子方の流儀の違いも「三輪」と「阿漕」ではだいぶ(違いが)あるということですので、このようにさせていただきました。

― 「三輪」については、片山家に由緒深いというか。その辺りをお聞かせいただけますか。

片: そうですね。「三輪」は思い入れのある曲目でございまして、特殊演出の白式神神楽(はくしきがみかぐら)というのが私どもの家の曲という風に元々になっておりましたので、これまでも「三輪」をやらせていただくことが多かったんです。今日は袴能ということで、出で立ちは皆さまの想像にお任せなんですが、「三輪」というのは本当に変わった曲目でして、主人公が色々入れ替わって参ります。それも「采女(うねめ)」みたいな曲目のクセを舞ってる時の移り変わりとちょっと違って、「三輪」の場合は、男か女か、か神かわからないようなところでずっと、お囃子のノリ、地謡のノリによって変わっていくような気がします。理詰めではなく、その時々の囃子との出会いとか、見ていただいてる方々の中のイメージで変わっていくような気がしておりまして、楽しんでいただけるんじゃないかと、二人で相談していた時には思っていたんですけれども。いざやると、ほんとに自分が気恥ずかしいという風に思ってる中で、全部さらされている。ましてや顔もお見せできるような顔でもないですし(笑)。(面が)欲しいなあ、と思いながらやっておりました。

― 次回、8月になるときちんとした面装束をつけまして、しかも、お二人が交代して舞われるわけですが、その辺りいかがですか。

友: もう一回稽古して出直して参ります(笑)。実は何年か前に、片山さんのお父様(人間国宝・片山幽雪師)が「三輪」を舞われたのを拝見しまして、今日も同じようなことを思ったんですが、「神楽」の舞い方が、私どもの江戸流、「東京」の舞い方と全く違いまして。「京都の観世流」というよりは、「京都」の舞い方という感じが非常に印象的で、品格みたいなものを感じました。やはり私どもの暴力的な(笑)神楽とはだいぶ違うなと思いまして。舞い方が、同じ神楽でもこれだけ違うのか、というのを私が一番感じているものですから、今回の「関の西・東」の中で、その辺りをお分かりいただけたらな、と思います。

― 片山さん、今回は囃子方も関西の方々ですが、東京の囃子方で舞われるのとイメージは違ってきますか?

片: 東京・京都というよりは、人によって違うなというのが率直な意見ですね。ただ、観世流の中で申し上げると、情緒と、その情緒を半分否定しながら骨格を見せていくような芸、というのが両方が天秤に乗っているとすると、それが西と東で少し、情緒量が代わるのかなと。いわば東京の方が厳しい間合いで、早いときも遅いときも潔く。これはひょっとすると、式楽の時代の影響というのが東京のほうが強いのかなという気はしています。

― 今回の地謡について、味方さんにお聞きしたいのですが、観世流は全員京都からではなく、東京の方々。しかも、普段の活動の場が違う皆さんがお集まりになっていましたけども、地頭でおまとめになる時にご苦労はありましたでしょうか。

味: 色々と大人の事情がありまして、西から全員というわけにはいきませんでしたが(笑)、なるべく同年代で、一緒に勉強していて同じ現場にいたり、いつも会にきていただいたり、謡う機会のある方々とさせていただきました。ですから今日も、引っ張っていくというよりは協力をしあいながら。統率をするというよりは、皆がうまく前を向いて同じベクトルでいかないと、4人の声というのは、ばらばらになってしまいますので、メロディカルになればいいというものではなくて、うまくなればいいなと思っていました。

― 来月の本番になりますと、今日のメンバーに今度は梅若から、角当直隆さんと川口晃平さん。また幅が広がりますね。

味: ええ、またどうなるんでしょうか(笑)

― 次回、8月24日の公演で、本格的な曲舞だといわれる「歌占」をお舞いになる味方さん、心の内はいかがですか。

味: 「歌占」のクセ(※一曲の中心部を占める謡いどころ)は、謡うのも大変難曲。私が初めて謡わせていただいたのは、13,4歳でした。地謡の端っこにつけていただいて、必死で覚えるわけですが、文句も難しければ、間の取り方も難しいんですね。それを一生懸命に覚えて謡わせていただいて、養成会へ出る度に、だんだん後列になり、助吟で謡わせていただくようになり、地頭で謡わせていただくようになり、舞囃子や能で舞わせて頂いたりしました。型がわりあい技巧的にできているので、テクニックだけをつないでいくのではなく、ぐーっと最後まで引っぱっていって、それが持続してでるような作品。能ではそうなんですが、仕舞だとなかなかそうは行かないので、どうしてもテクニックに逃げたりするんですけども、なるべくその感じを忘れずに、浮つかない様にやれればという感じです。

― 「百萬」をお舞いになる狩野さん、いかがですか。

狩: 「百萬」のクセが非常に長大で、難しい曲ではあるんですが、養成会で京都の観世会館のほうに参りまして、「百萬」の舞囃子を舞わせていただいたことがございまして。東京から京都に乗り込んでいくという、なんとも知れない恐怖感と戦いながら、周りは皆さん観世流の方がいらっしゃって、その中でびくびくしながら舞ったようなこともある思い出の曲でもあります。「歌占」「百萬」と並んで曲としては非常に対象的な曲ですし、味方さんは本当にお能が大好きで大好きでしょうがない人ですので、「歌占」のような難しい曲は僕よりも彼に舞ってもらったほうがいいんじゃないかと(笑)。「百萬」という長いクセの中で、母親が子を探しながら、呆然としたものからだんだんと狂乱になっていくというところがひとつの魅力ではないかと思っております。

― 友枝さん、今回に限らず今までの企画ずっとそうだったと思うのですが、最近は、能一番で狂言なしという形式の会も結構多くなってきました。そんな中、この会に関しては、必ず狂言にも目を向けていると、強く感じたのですが、その辺りの狙いなどをお聞かせいただけますか。

友: 本日の「三輪」「阿漕」に関しては、あえて(間狂言を)失くしてしまった方が、緊張感が保てるんじゃないかと思いまして、狂言方にも承諾を得ました。ただし、やはりバランスといいますか、均衡を保つためには確実に、狂言の語り口調がどこかにないと、今日の会が成り立たないというのが僕の感覚の中にありました。ちょうど「那須」の語りというのは山本さんのところには、非常にしっかりした伝承を受けているものがありますし、今日の(山本)則孝君も同世代でありますので、お願いしましたら快諾していただけましたので、能と狂言との違いを見てもらう中でもいい番組設定になったのではないかと思います。

― 8月の時には一部二部分かれますけども、雰囲気の違う狂言を2番、入れていただくということでこれも楽しみだと思います。

さて、せっかくですから客席の皆さんから、何か質問ございますか?

― (お客様より)能面を付けない袴能だと、普段よりも周りが見えすぎて困るのでは?

友: そうですね、見えすぎて困りました(笑)やっぱり面を付けて舞うことに慣れていますので、一度舞台に出てしまえば案外集中しているんですけども、稽古段階ではこれはどうしたもんかな、とは思っていました。面の中に顔をうずめてますと、その中でぐっと集中できるんですけども、やはり素顔をさらしてますと、瞬きまで気にしなきゃいけなくなるのかな、とかいろんなこと、余計なことを考えておりました。あとは、脂汗か冷や汗か、色んな汗が混じってたんですけども(笑)、それが見えてしまうのがどうも上手くいかないな、というのが正直な印象ですね。

― 片山さんも恥ずかしかったですか。

片: そうですね。恥ずかしいことは、ございます(笑)。ただ、特に喜多さんなんかそうなんですけども、結局、骨格の稽古みたいなことをされる時に、柱までつめていく気持ちとか、そういうことしかやらせて貰えない時期というのがありまして。柱を背にしたところへ回りこんでいくとか、柱がないとやりにくいことがあるんですね。ですから、見えていてもやっぱり柱の方を大事にしています。(能楽堂ではなく)ホールで、脇見所のない舞台でやることも多いんですが、そこが一番、私どもにとっては集中力を欠いてしまうところでして。やっぱり演じ手にとっては、柱があるということが、面を付けていようが、付けていないであろうが、ありがたいことですね。

―  名残り惜しいんですが、時間も迫って参りました。それでは皆さんどうも遅くまでありがとうございました。

 (Bunkamuraメールマガジン掲載文より)