2019年4月26日(金)
『渋谷能』第二夜 金春流

公演レポート第二弾!次世代を担う能楽師、劇的に舞う。渋谷に舞う。


能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクトBunkamura30周年記念「渋谷能」。第二夜の公演レポートをお届けします。

2019年4月15日(月)|事前講座
「渋谷能」第二夜の『熊野』(ゆや)をつとめるのは、五流で最も古い歴史をもつといわれる「金春流」ということで、まずは流儀の説明から始まりました。現・宗家の金春憲和師は、初代の秦河勝(はたのかわかつ)から数えてなんと81世。現在の本拠地は東京ですが、元々奈良にも縁が深く、仙台・名古屋・伊勢・九州等にも地盤があるとのこと。女性能楽師が多いのも金春流の特長のひとつで、人数比率も高いのだそうです。

シテをつとめる中村昌弘師にとって『熊野』を演じるのは今回が2度目。初演時に師匠である高橋忍師から「熊野は大変だから若いうちにやっておいたほうがいい」と言われたのだそう。シテの謡が多く、覚えるのが大変だというのがその理由のひとつでもあるとのことでした。

 「渋谷能」における『熊野』のテーマは「親想う心」。物語では、時の権力者・平宗盛(ワキ)のお気に入りである熊野という女性が主人公(シテ)。病気の老母が心配で帰郷したいと願うのですが、宗盛はなかなか許してくれません。それどころか清水寺へ花見に連れていこうとするのです。参加者には詞章が書かれたプリントが配られ、物語の流れに沿って、見せ場の解説や演じる側のウラ話が展開されました。

「文の段」では、明日をもしれぬ命を悟った母からの文をツレの朝顔から手渡されるのですが、渡し方や受け取り方がとても大事。なにしろ、視界が極端に狭い能面をつけてのやりとりですから、渡された手紙が正しく開くよう注意が必要です。講座ではコピー用紙を文の小道具に見立て、実際に手渡す場面や開く場面を見せてくれました。

 基本的に舞台装置等の用意がない能楽公演ですが、それでも「作り物」と呼ばれる大道具が登場する曲もあります。『熊野』では「物見車」「花見車」という牛車が登場します。ところが、舞台に出されたのは、何本もの竹や棒状のオブジェ。「これが牛車?」と思わず首をかしげたくなってしまいますが、これらの竹や棒を組み立てて布を巻き、両サイドの車輪、乗車スペース、入り口や飾り、窓や天井を作って車を表現するそうで、組み立てには1時間ほどかかるとか。作り物は若手能楽師が最初に行う仕事で、装束や面を触らせてもらえるのはもっと後になってからだそうです。

本田芳樹師によると「車は『道成寺』の鐘を除けば作り物の中でもかなり大変な作業」とのこと。「時間かけて作って舞台に出しても10~15分くらいでひっこめてしまうわけですから、コストパフォーマンスが悪いですね(笑)」。


▲ 慣れた手つきで作り物を準備する本田師(左)、解説する中村師(右)

特別に講座参加者にも布を巻いていただきました。竹でできた部品に「ボウジ」というさらしの細い布をこまかく巻いていきます。簡単そうに見えますが、竹の部分が見えなくなるように布を巻いていくのは大変そう。作り終わったときには拍手が起こりました。

さて、母を心配する熊野を車に乗せて清水寺へ向かう一行ですが、車中から見える風景や熊野の心情を地謡が描いていきます。その間、シテは車中でほとんど動かず長い間ずっと立っています。初めて観る人にはちょっと辛い(?)場面かもしれませんが、演じるほうはもっと辛いのです。能装束(唐織着流し)や能面もつけるわけですから、視野が非常に狭くなり、平衡感覚が失われていきます。そんな状態でグラグラしないように保つのは非常にしんどい、と中村師。「皆さんにも、この苦しさを味わってもらいたいと思います(笑)」と、参加者全員が体験することになりました。

本田師が地謡、中村師がシテの「ロンギ」の間、参加者は熊野の気持ちになって一緒に旅をしていくという試みです。ただ立つだけではなく、膝を軽く曲げて少し前傾させながら胸を張り、顎を引く。能の構えをレクチャーされながら立ちます。「目を瞑ると平衡感覚がなくなりますよ」ということで、目も閉じてみます。

ロンギの間、4分強。グラつく身体をコントロールするのがとても難しく辛い。演者の大変さをほんの少しでも知ることができたのは貴重な体験でした。微塵も大変そうに見せずピタッと止まっていることで、観る方々のイメージを大切にして邪魔をしないというのが、シテの腕の見せ所。地謡はその情景を美しく見せ、囃子も美しく囃すところが、見どころ・聞きどころでもあるとのことです。

「熊野という曲は、やるのが大変な曲なんですよね。1時間半、シテは出てからずーっと立って動いて、メリハリもつけつつ、最後までいるのが体力的に大変。今回は地謡座から楽しみに見ています。」(本田師)

「熊野はパワハラや不条理という側面もあるけれども、親を想う心が宗盛に通じて、熊野は晴れてお母さんの元へ帰ることができた。そういった想いというものが、僕の現段階で考えられる大事なテーマなのかなと思っています。あと10年20年経つとまた変わるかもしれませんが、演じる年によって変わってくるのもまた面白いところではあります。美しい熊野として舞台に花を咲かせたいと思っています。」(中村師)

物語はもちろん、場面ごとの熊野の心境やシテとして気を付けるべきことなど、お二人の掛け合いで楽しく話が進んだ今回の講座。観客席からではわからなかった深い話もあり、あっという間の90分でした。

*講師:中村昌弘(シテ方金春流)、本田芳樹(シテ方金春流)
*会場:セルリアンタワー能楽堂

 

2019年4月26日(金)第二夜 金春流「熊野」

解説に続いて、いよいよ『熊野』の本番。

お調べの後、囃子方、地謡が着座し、物語が始まります。ワキが舞台に登場。平宗盛であると名乗り現状を語った後、ワキ座に用意された床几に腰掛けました。一方、橋掛かりでも舞台が進みます。手紙を持った熊野の侍女・朝顔(ツレ)が幕の奥にいるシテの熊野に呼びかけます。流れるお囃子に耳を傾けていると、ゆっくりと静かに熊野が登場しました。母からの手紙を読み、心配で涙する熊野。あわれさ、物憂さ、気だるさといった空気を感じます。

宗盛に呼び出された熊野は、手紙を読み上げ必死になって帰郷を訴えます。しかしが、それ以上に“ワガママ”を言ってしまう宗盛。やはり「パワハラ」なのでしょうか、それとも無意識に感じ取っている滅びの予感がそうさせるのでしょうか。ともあれ清水寺詣では決行となり、車が出てきます。

車に乗る熊野も見どころの一つ。シテは装束を付け面(おもて)を掛けているわけですから、視野も動きも限られた中で乗り込むだけでも大変そうです。清水寺への道行きでは、変わりゆく景色を地謡が、そして大きな心配事のために涙をぬぐい、気分が晴れない熊野の心情をシテが謡っていきます。

この間、シテはほんの少しだけ向きを変える以外、ずっと車の中で立っています。およそ15分、諸々制限された中でのシテの“動かない”という動き。「シテの身体」は微動だにせず、しかし「熊野の心の中」は哀しみに大きく乱れている様を目の当たりにする醍醐味を味わえるのです。

清水寺に到着し、故郷の母を思い手を合わせる熊野。心中はいかばかりか…と観客が思う間もなく、今度は宗盛が舞を所望します。心が進まない熊野は、決して軽やかには舞えません。ひと村雨に散る花がさらに情景をあわれに描きます。

 
▲能「熊野」中村昌弘(撮影:辻井清一郎)
 
舞い終わった熊野は短冊を取り出し、中啓(ちゅうけい・扇の一種)を筆に見立てて読む動作に移ります。書き留めて宗盛に短冊を渡す頃にお囃子の調子が変わりました。

「いかにせん 都の春も惜しけれど なれし東の 花や散るらん」

熊野の歌に、さすがの宗盛もほだされてしまい、とうとう熊野に帰郷を許します。帰郷が叶いホッとする熊野は、都に戻ってしまえば宗盛が翻意するかもしれないと考え、ただちにこの場から帰ることになります。

最後は熊野の帰郷の場面です。今回はちょっと異なった演出なのですが、シテはそのまま幕に向かって真っすぐ進むのではなく、舞台上の都(宗盛)の方を振り返り、扇をかざします。そしていったん戻り、ひと回りしてから静かに退場していきました。この時の熊野の心境を、どう感じたらよいのでしょうか。それは、観客の皆さんがそれぞれに想いを持っていることでしょう。

熊野にとって「親想う心」が一番大事。しかし、都にも宗盛にも名残惜しい気持ちが無いわけではないでしょう。また今回の公演では、熊野を見送る宗盛の様子にも胸を打たれてしまった人もいたのではないでしょうか。心から寵愛していた熊野を手放し、名残惜しそうに見送る佇まいに、実は熊野も少しはほだされていたのではないか…と想像を巡らせる舞台でした。 

終演後は第一夜と同様、出演能楽師も参加する「渋谷能」ならではのアフターパーティーが開かれました。シテをつとめた中村昌弘師も、終演後すぐの流れ出る汗を拭きつつ、笑顔でご挨拶。ドリンクやフードを楽しみながら、参加者による舞台の感想や能楽に関する質問などが飛び交い、大変な盛り上がりを見せました。