2019年9月6日(金)
『渋谷能』第五夜 観世流

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクトBunkamura30周年記念「渋谷能」。第五夜の公演レポートをお届けします。

 

2019年9月2日(月)|事前講座

渋谷能第五夜は観世流の『井筒』。事前講座は、シテをつとめる鵜澤光師と、公演前の解説でおなじみの能楽評論家・金子先生にて行われました。この曲は作者である世阿弥自ら「上花也(=最上級である)」と評したほどの自信作で、現在では人気曲のひとつとなっています。

『井筒』の元になった『伊勢物語』第二十三段「筒井筒」は、井戸の脇で背比べをしていた男女の幼馴染がいつしか年頃になり、歌を贈りあい晴れて夫婦になる純愛物語。男は在原業平、女は紀有常の娘と言われています。“その後”の話も含め、学校の古典の時間に習った人もいるのではないでしょうか。金子先生の解説では、原作とお能での時系列の違いや、一般的には純愛物語とされるストーリーに別の古典作品を引いての解釈の紹介もありました。

続いて「作り物」の紹介と説明。『井筒』では、幼馴染と背を比べた井戸を、紀有常の娘の幽霊(シテ)がかつての日々を懐かしんでのぞき込む場面があります。井戸の作り物は舞台前面に木や竹で組まれ、薄(すすき)を飾ります。高さや薄の位置は流儀や演出によって異なりますが、観世流ではシテから見て右側に立てます。鵜澤師によると、「9月のこの時期には生木が使える」とのこと。公演中に薄がくたびれてしまないよう、下に濡れたティッシュペーパーを入れて鮮度や美しさを保つ工夫についても教えてくれました。

『井筒』には囃子のリズムに乗った「曲舞(くせまい)」の一種として、シテが舞わず舞台の中央に座ったままの「居グセ」の場面があり、通常は謡のほとんどを地謡が担当するのですが、今回はその様をなんと鵜澤師がひとりで実演。ふたつの扇を両手に持ち、拍子を取る台に打ち付けて大鼓・小鼓のリズムを表現し、鼓を打つ時の掛け声はもちろん、シテ・地謡としても一緒に謡っていきます。すべてのパートに精通しているプロの能楽師の技にあらためて驚かされました。


▲地謡、囃子、シテ方を一人で実演する鵜澤師

さらには舞の実演。『井筒』の後半では、業平の衣をつけたシテによる「序之舞」と呼ばれる静かな舞があります。金子先生から舞の種類について説明があった後、鵜澤師が4つの舞を例にそれぞれの違いを実際に舞って見せてくれました。修羅に苦しむ武将や物狂いの女性を表す「カケリ」、女神や巫女が舞う「神楽」、スピーディーな「神舞」、そして静かな雰囲気を味わう「序之舞」……。密度の高い実演に、講座であることを忘れて堪能してしまいました。

物語の終盤では、業平の衣をつけて男姿となったシテが、自らの姿を井戸の水面に映すというクライマックスシーンがあります。ここで先程の井戸の作り物が再登場し、鵜澤師がその場面を披露。愛しい夫の面影を求めるシテの姿に、ますます本番が待ち遠しく感じられました。

鵜澤師にとっては10代から稽古しているという『井筒』。最後に「若い時には技術が追い付かなかったけれども、戯曲がしっかり作られているので、この歳になって今の私という人間、実力を素直に出していく」と抱負を述べてくださいました。

*講師:鵜澤光(シテ方観世流)、金子直樹(能楽評論家)
*会場:セルリアンタワー能楽堂

 

2019年9月6日(金)|第五夜 観世流『井筒』

囃子のお調べが、能楽堂の中を一気に秋の気配に変えました。囃子方・地謡に続いて、この曲のシンボルである井戸の作り物が舞台に置かれます。作り物の一角には、ピンと穂の立った薄(すすき)が立っていました。

寂寥感漂う笛の音が聞こえ、諸国を旅する僧(ワキ)が現れます。旅の途中で大和(奈良県)の在原寺の話を人に聞いて一度見てみようと思った僧は、かつて在原業平と紀有常の娘が夫婦として住んでいたという場所で、ふたりに思いを馳せつつ弔います。深まる秋の空気が感じられるなか、どこからか手桶に入れた花と数珠を持った里の女(前シテ)が現れました。業平に縁があるのかという僧の問いに、女は「昔男」と呼ばれた業平は遠い昔の人であり「故もゆかりもあるべからず」と返します。しかし、女が語るのは、その業平と有常の娘の話でした。シテとワキは時おり向きを変えつつも、座ったまま話が進んでいきます。

やがて業平と有常の娘は夫婦になりますが、その後業平は河内の高安に住む女の家にも通うようになります。ほかの女の元へ向かう夫を案じて詠んだ歌が「風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ」――。この曲の元となった『伊勢物語』には、そんな妻のけなげさに心を打たれ、高安通いを止めたと描かれています。

さて、さらに話を乞う僧に女は、業平との有常の娘の馴れ初めを語りました。ここからはシテの「居グセ」の場面。舞台中央に座ったシテと地謡が聞かせる純愛物語は、観客にとって謡や語りにジックリと耳を傾けられる“聞きどころ”です。業平と有常の娘との出会い、幼馴染同士の恋、そして互いに贈りあった歌。

「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生ひにけらしな 妹見ざる間に」

「比べ来し 振分髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」

有常の娘は井筒の女でもあり、そして私のことだと明かした里の女は、静かに姿を消していきます。

さらに夜も更け、まだ在原寺にいた僧が臥していると、今度は冠と直衣を身に着けた女の姿が現れました。これこそが里の女の正体、有常の娘の幽霊です。恋しい男を待ち続けていた女、夫の形見となってしまった衣に包まれる女。切なくていとおしい日々を思い出すかのような序之舞が始まります。扇を開き、袖を翻すのは業平なのか、有常の娘なのか。舞はおよそ15分。ゆったりと流れる時間のなかで、様々な思いがわき出てくるようです。終盤、地謡とシテが再び謡う筒井筒の歌で、地謡による「生ひにけらしな」を受けるのはシテの「老いにけるぞや」――。恋が実ったあの日は遠くなってしまったことを知ります。


▲能「井筒」鵜澤光(撮影:辻井清一郎)

やがて女の幽霊は男の姿のまま井戸を覗き込みます。シテが扇で薄を押しやり、身を乗り出して水面を見つめる姿を目にすると、いじらしさやあわれさといった言葉だけで表現できないような感情に襲われてしまいます。

「見ればなつかしや」。

水面に映っているのは男の姿をした自分だとわかっていても、愛した人の面影にますます想いを寄せるかのような女の様子に、誰かを好きになったことのある人は心がギュッと締め付けられる思いがするのではないでしょうか。そしてシテが退場してからも残る長い余韻。能の代表作に数えられる『井筒』。しっとりとした鵜澤師の舞と、秋という季節が相まって、恋愛の喜びも涙も身に染み入るようでした。

終演後は今回も出演能楽師を交えてのアフターパーティーが催されました。「渋谷能」の回を重ねるごとに参加者の熱量が高まってきたのでしょうか。飲み物を手にしての質問タイムや歓談はさらに盛り上がり、楽しい時を過ごす皆さんの笑顔が印象的でした。