2020年9月18日(金)
『渋谷能』第三夜 金春流

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクト「渋谷能」。2年目となる2020年は、観世流・金剛流・金春流それぞれの公演と五流儀が揃う千秋楽の全四夜を上演しております。

公演レポート第一弾は、コロナ禍で第一夜・第二夜が延期となり今期のトップバッターとなった第三夜をお届け。2020年は終演後のスペシャル・インタビューも一般公開いたします。そちらも併せてお楽しみください。 

2020年9月11日(金)|事前講座

渋谷能「第三夜 金春流」公演の事前講座が行われました。当日シテ(主役)を務める金春流の本田芳樹師は、舞台上で長いマスクを掛け「覆面させていただきました」とご挨拶。これは実際に地謡(じうたい)が謡う際の飛沫対策として使用することも紹介してくださいました。

今年の「渋谷能」は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、4月の「第一夜 観世流」公演、6月の「第二夜 金剛流」公演が延期となり、実質的に「第三夜 金春流」公演がトップバッターとなりました。新型コロナウイルス感染症対策として能楽師の皆さんは、本来8人で構成される地謡は6人に減らし前後をずらして着座したり、お囃子のそれぞれの位置も間をあけたりするなどの対策をしているとのこと。冒頭で本田師が紹介した覆面もそのひとつで、実は『望月』で使われる覆面が原型となっていることには驚きです。また金春流では春日大社のおん祭で催される舞台で黒い覆面を付けるため、流儀としては見慣れているのだそうです。

能といえば、最大の特色として能面をつけた人が舞台に上がるというイメージですが、今年の「渋谷能」では、どの公演もシテが直面(ひためん=面をかけない状態)で演じる曲を上演。直面で演じられるのは「生きている人」「男性」「青年から壮年」の役なので、ベテランの能楽師が務める曲が多く、若手にはあまり機会がない役です。

物語は、近江の守山で「甲屋(かぶとや)」という宿を営む小沢刑部友房(シテ)と、殺されたかつての主君・安田庄司友治(友春とも)の妻子との偶然の出会い、さらには仇敵・望月秋長との奇跡的な巡り合わせから仇討ちへと展開します。『望月』という曲名は、シテではなく仇役の名前なのが興味深いところです。仇討ちに際して敵を油断させるために小沢刑部と旧主の妻子が“芸尽くし”を披露します。このなかで子方が芸を披露する際に羯鼓を打つシーンがありますが、参加者は本田師のレクチャーに沿ってその型を体験しました。また、シテが獅子を舞うための扮装に使われるのが赤頭と金の扇2本、そして赤い覆面。即席で“獅子頭”を作り、即興の芸を見せるというわけです。酒と芸を愉しんで機嫌よく眠りこける望月を討ち、首尾よく本懐を遂げた後は故郷に帰る旧主の妻子を見送るというお話です。


▲獅子頭を披露する本田師

ストーリー紹介の後は本田師と旧主の妻役(ツレ)・中村昌弘師のトークタイム。中村師も覆面をつけて登場です。二人はソーシャルディスタンスを考慮して離れて座っているのかと思いきや、実際の公演での立ち位置なのだそう。中村師は昨年の「渋谷能」で『熊野』のシテを務められましたが、この時も第一夜の『翁』(宝生流)を除けばトップバッターということで、かなり緊張したそうです。今回の『望月』でのツレについては、シテは主演であり演出家であり指揮者であるけれども、ツレは舞台の流れのなかでシテの作品観に入らなければならないこと、淡々とやってはつまらないし派手にも出来ないことが難しいと語りました。

またお二人は、お互いに子方を務めた思い出話で盛り上がりました。今回の『望月』に出演する子方も半年前からずっとお稽古をしていたとのこと。未来の能楽師として、公演を楽しんでほしいとエールを送っていました。

他の曲とは異なる動きが多いという『望月』。シテが直面で舞台に立つことについては、面をかけているときとは違い視野が広くなることで気が散りやすくなりがちな一方、獅子を舞う時には周囲が見やすいためありがたいという演者ならではのコメントも。ツレは芯の強い人で自分の気持ちを押し殺して夫の敵を討つ、その気迫を謡の形で皆さんに感じ取ってもらえるようにしたいという意気込みを聞かせてくれました。


▲本田師、中村師による和やかなトーク

新型コロナウイルスの感染拡大の影響でこれまでに予定されていた公演やイベントが幾つも延期・中止になり、高いテンションを保つのが難しかったというお二人。ともあれ、『望月』はストーリー仕立てであり芸尽くしの両方を味わえるので、細かいことを考えず楽しめる曲であることをオススメポイントとして挙げて講座は終了。お二人の軽妙なやりとりがとても楽しく、情景が目に浮かぶようなわかりやすいお話に、参加者は公演を待ちきれない様子でした。

*講師:本田芳樹(シテ方金春流)、中村昌弘(シテ方金春流)
*会場:セルリアンタワー能楽堂

 

2020年9月18日(金)|第三夜 金春流『望月』

今年は新たな試みとして、一部の座席で「能サポ」というサービスが利用できるようになりました。貸し出されるタブレット端末で、開演前にはお能のイラスト解説、舞台やお役の説明、あらすじや見どころを確認できます。開演中には場面ごとに解説ページが自動的に切り替わり、より深く曲目を知ることができるようになっています。

舞台が始まる前にはおなじみの解説タイム。今年は能楽評論家・金子直樹先生に加え、NHK Eテレ『にっぽんの芸能』に長年出演されていた女優・石田ひかりさんが今シリーズのゲストとしてご登場。お二人の進行で『望月』の世界へ誘われました。観客が感じる疑問を石田さんが質問し、それに対して金子先生が答えるという形式。ここでも直面(ひためん)についてなど『望月』を楽しむための対話を聞けました。子方が出る曲目は幾つかありますが、『望月』への出演が子方としての節目であるという話に、「(子方の)出番も多いし、期待しています」と石田さん。

解説の後はいよいよ能舞台の上演。囃子方、地謡が登場します。今回は裃(かみしも)姿ですが、これまでの能楽公演と異なるのは、地謡の方々がいったん背を向けてから覆面をつけて着座したところ。能舞台ならではの感染予防対策です。

しばらくしてシテが登場。宿・「甲屋(かぶとや)」の主である小沢刑部友房です。落ち着いた雰囲気で自らを名乗り、出身や境遇を語り現状を説明すると、ここはもう近江・守山宿。街道を行き交う人々が見えてくるよう。友房はもともと信濃の人でしたが、ある理由があって宿屋の亭主となったようです。

お囃子が流れ、時が移ることを示します。少年(子方)が橋掛かりに登場し、本舞台に出る直前で振り返ると、今度はその母(ツレ)らしき姿が見えました。二人も向かい合い名乗りから境遇を語ります。親子は信濃に住んでいた安田庄司友治の妻と子・花若であり、安田庄司が望月秋長に討たれたため、一族郎党が離散したことがわかります。親子は本舞台へ移動、守山に着き甲屋へ一夜の宿を求めます。同郷の客を部屋に通し旅の疲れをねぎらう友房は、この親子がかつて仕えていた主人の家族と知ると、自分の身を明かして互いに懐かしみ嬉し涙に咽びました。

奇縁は続きます。笛の音とともに新たな客(ワキ)が訪れるのですが、堂々たる風情がありながらも笠をかぶり人目をはばかる様子。彼こそ望月秋長で、安田庄司と争い討ったことで本領を取り上げられたものの、訴訟によって本領安堵を得て信濃へ帰る途中でした。望月の従者がうっかりと主人の名を口に出したことで、友房は客が旧主の仇と知り、「言語道断の事」と憤ります。すぐさま旧主の妻子に伝え仇討の密談に。望月を油断させたうえで実行しようという話になり、酒の席が設けられることになりました。酒を持ってくる友房を歓迎する望月は、宴席で機嫌よくなっていきます。ふと花若に手を引かれた安田庄司の妻が目に入った望月は、盲御前と紹介された彼女に謡をリクエスト。応えて謡うのは、なんと仇討の話として名高い曽我兄弟の物語です。シテと地謡との謡の掛け合いで高まってくる緊張感。たまらず花若が望月を討とうと血気にはやりますが、機を逸するわけにはいかず友房に押しとどめられます。

望月に獅子の舞を求められた友房がいったん場から引き準備をしている間、胸に羯鼓を下げた花若は八撥(やつばち)を打って場をもたせます。子方は謡い、お囃子や地謡に合わせてくるくると回り、撥を振り上げてキビキビとした舞を見せます。羯鼓の音は撥を叩く型に合わせて鼓で表現します。そしていよいよ間に合わせで拵えた獅子の扮装をしたシテが登場。軽快なお囃子の音とともに颯爽と舞います。お能で獅子といえば『石橋』がありますが、獅子の型としての独特の動きはこの『望月』でも見ることができます。即興芸を見せながら友房は時々望月に近づいて様子をうかがっています。酒と芸に満足しながらまどろみ、やがて寝入る望月。和やかで楽しい酒宴でありながら、同時にピリピリとした空気が漂います。お囃子と地謡のテンポも一段と早くなり、さらに緊迫した雰囲気の中で、とうとう友房と親子が望月を挟み撃ちに。ここに至って彼らの正体を知った望月でしたが、反撃も叶わずついには討たれてしまいます。ワキは切戸口から退場。最後はシテの喜びの舞で本懐を遂げたすがすがしさを表しました。


▲能「望月」本田芳樹(撮影:辻井清一郎)

公演後、成田達志師(小鼓方幸流)と友枝雄人師(シテ方喜多流)の進行でアフタートークがありました。『望月』のツレは初めてだったという中村昌弘師は、「(本田)芳樹さんのシテのつくりを壊さないように」気を遣ったとのこと。夫が討たれた辛さや寂しさをなるべく考えないようにしたとのコメントもありました。本田芳樹師は、『望月』のシテは十数年前に一度経験があり、大曲を「渋谷能」で再び務められたことにビックリしたようです。『望月』は演劇性が高い曲ではありますが、演技的にやりすぎてはいけないし、逆に表現として出ないのもいけないところが難しかったという感想も。また、これからの抱負として「渋谷という新しい街で古典である能を続けながらも、新たなチャレンジをしていきたい」と語りました。

出演者スペシャル・インタビュー|シテ方・本田芳樹師
 
■『望月』決定で「えっ、いいんですか!?」

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、3月初めからの公演がほぼ中止になりました。5月、6月……本当になくなりましたね。そのたびにガックリきちゃって。緊急事態宣言が4月に出てからは先が全く見えず、公演が再開できるのかわからない状況で、何もできないまま気持ちのやりどころがなく大変でした。「渋谷能」も第一夜・第二夜が延期になって第三夜はどうするというお話になったのですが、予定通りの公演となりました。“第三夜”なのにトップバッターになるわけですが、特に気負いはせず先陣をきってやらせていただこうと思っていました。

私が『望月』のシテと決まった時には、「えっ、本当にいいんですか」という気持ちでした。結構な大曲ですから。直面物というのは、面で(顔が)隠れていない分緊張はしますよ。ごまかしのきかないところがあります。しかも「渋谷能」は五流で他の流儀との立ち合いのようなシリーズ公演ということですから、(自分の芸や技量を)試されているなと。『望月』をやってほしいといわれたのは能楽師冥利に尽きますね。

■2度目の『望月』シテ――欲はあっても本番では無心に
だいぶ昔なんですけれども、十年以上前に『望月』を一度やっています。『石橋』の獅子に続いての『望月』でした。特殊な曲ですよね。装束がそうですし、技術的なところもありますし。宿の主人として仇に対する機微というか心の出し方……初めてやるときには、師匠である父(本田光洋師)や先輩方にもいろいろ聞いたりしました。やるだけで精一杯でした。ひと通り覚えて、言われて、習った通りにやるだけでいっぱいいっぱい。今回は2回目ですし、シテとして舞台に出ることにもだいぶ慣れてきていますから、「こういうふうにやってみたい」という欲は今回のほうが強かったと思いますね。能というのは何回も同じ曲をやらせてもらうという機会はほとんどありません。一番一回きり、そして年間で能のシテを務める回数は非常に限られています。年に数番、2桁いったらかなり多いほうではないでしょうか。ですから「渋谷能」でこういう機会をいただいたというのは非常にありがたいです。自分自身にチャンスというか、もう一回やらせてもらえること自体が面白いと思っています。

本番当日が迫ってくると舞台で使うさまざまな道具をあれやこれやとしていたので、プレッシャーを感じる暇もなかったように思います。やるべきことをやるという心意気だけで臨み、「こうやろう」と本番ではあまり考えないようにしていました。終わってみると、初めてやった時よりは精神的に余裕があったと思います。獅子の赤頭を付けたり外したりする場面でも、経験があると落ち着いてできるようになるんだなと。



■「習い事としての能」を楽しんでみて
能というのは、実際近寄りがたさがあると思います。日本人独特の、(観る側は)ものがわかっていることが前提、「知っていて当然」という土台がありますよね。演出的にも脚本的にも。そこに難しいところがあるのは確かでしょう。これから新たに能を観ていただくための試みとして、「渋谷能」の事前講座のようなものだったり、解説をやったりとかはやっていますね。能への入り方としては、最近は観客として観に来られる方が多いのですが、一昔前は、能のお客さんといったらみんなお稽古をしている人だったんですよ。だからみんな舞台を観ずに本(謡本)ばっかり見ているとか(笑)。でもそれもひとつの能の触れ方かなと。お稽古事としての能というのも魅力のひとつ。客席と舞台がある意味近い。(お稽古をしている)自分も舞台に出るから、とかね。歌舞伎などはそういうのは無いと思いますが、能はそれができる。自分でやるとわかるところも当然出てくる。でもみなさん、能を「やるもの」と思っていらっしゃらないかもしれませんね。だから最近は体験型の講座を増やしています。解説メインの講座でも、参加者にちょっと謡ってもらうとか。一日体験みたいな簡単な舞をやってみるとか。習い事としての能の機会を増やしてこうと思っていますね。

私の社中でも秋からお稽古を再開しています。マスクをして距離をあけて謡っていますよ。謡いづらくて息苦しいので休憩をとりながらですけれどもね。発表会に向けてお弟子さんも稽古をしています。年を越しても新型コロナウイルスの影響は続くと思います。いろいろな状況を考え、工夫しながらやっていければと思います。

(了)