2020年10月28日(水)
『渋谷能』第一夜 観世流

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクト「渋谷能」。2年目となる2020年は、観世流・金剛流・金春流それぞれの公演と五流儀が揃う千秋楽の全四夜を上演しております。

公演レポート第二弾は、コロナ禍で4月から10月に延期となった第一夜をお届け。スペシャルインタビューも併せてお楽しみください。

2020年3月23日(月)|事前講座

新型コロナウイルスの影響で公演は残念ながら延期となりましたが、第一夜『夜討曽我』事前講座は予定通り行われました。

舞台に登場した観世淳夫師より、まず参加者にご挨拶と自己紹介。コロナウイルスで騒がれているにもかかわらず、万全の対策をして参加してくださった皆様への感謝と公演への意気込みを語ると、見所(観客席)から拍手が沸き起こりました。

2年目となる渋谷能のコンセプト、「直面(ひためん)のもの」というものがあります。直面とは、面(おもて:能面のこと)をかけずに素顔で舞台に出ること。淳夫師作成のレジュメを元に、まずはこの直面の解説から始まりました。「直面」は、シテ方のみに使われる言い方で、男性の役だけに適用されます。つまり、女性の役では必ず面をかけるわけですが、室町時代に能楽という芸能が出来上がる過程で、女性役も直面は“アリ”だったとか。また、代々続く能の家では、幼い頃から子方として舞台に出ることもありますが、子方は面をつけないものとされています。子方を経て16~17歳になる頃に「初面(はつおもて)」といい、初めて面をつけるようになります。例えば『敦盛』『車僧』『熊坂』などのように、能の曲目によっては物語を前半・後半で分けたときにそのどちらかだけ直面でというものもあります。「全体を通して面をつけない曲は難しい」と語る淳夫師。どうしても顔で演技しがちで力が入ってしまうそうです。顔での演技は能の世界では推奨されないわけですが、情がこもって自然に出てきた表情は否定されないとのこと。なかなかに深い話です。

続いて、第一夜『夜討曽我』のお話へ。この曲の元となる『曽我物語』ですが、能をはじめ歌舞伎や幸若舞にも取り上げられ今に伝えられています。能だけでも『夜討曽我』以外にも『小袖曽我』『禅師曽我』『調伏曽我』など曽我十郎祐成・五郎時致の曽我兄弟による仇討ちを中心に、物語のあらゆる場面を題材としたいわゆる「曽我物」とよばれる作品が幾つも生まれました。なぜ曽我兄弟による仇討ちが起きたのか、その背景について兄弟をとりまく血縁者や当時の勢力関係の説明も交えながらの詳しい解説がありました。前妻の子が、後妻の連れ子が……と、話をお伺いしながら相関図を頭に描きながら聞いてみると、一族内の内紛が兄弟の仇討ちに繋がることがわかります。

『夜討曽我』は「能としては言葉がわかりやすい」という淳夫師。詞章の書かれた資料を読みながら、わかりづらい言い回しを今の言葉で説明してくださいました。曽我兄弟は父の仇である工藤祐経を討とうと企み、従者の団三郎・鬼王を伴って富士の裾野の狩場へ赴きます。舞台では前場(曲の前半)に富士への道行き、仇討ちへの決心や故郷に残してきた母への想い、さらには主従のやりとりと別れまで描かれます。舞台では仇を討つところは描かれません。しかも後場(曲の後半)では兄・十郎は既に命を落としている設定で、弟の五郎のみ登場します。ひとりで奮戦しつつも、ついには御所五郎丸に生け捕りにされるところで舞台はシメとなります。

話はさらに刀の話題に。曽我物で出てくる刀は、歌舞伎では「友切丸」と呼ばれ、かつては土蜘蛛退治で源頼光が持つ「膝丸」(能『土蜘蛛』ではのちに「蜘蛛切」)、後には源義経が持つ「薄緑(丸)」など、様々に名を変えていきました。刀剣ブームもまだ熱い昨今、こういうこぼれ話が聞けると、公演に向けての楽しみが増していきますね。


▲謡を披露する観世淳夫師

最後に、淳夫師による『小袖曽我』(キリ)の謡と解説がありました。狩場へ向かおうとする場面、母と子の想いの違いなど、エピソードの多い曽我物から切り取って披露してくださいました。

*講師:観世淳夫師(シテ方観世流)
*会場:セルリアンタワー能楽堂

 

2020年10月28日(水)|第一夜 観世流 『夜討曽我 大藤内』

第一夜は『夜討曽我 大藤内』。曽我兄弟の仇討ちのお話です。今回も公演前の解説は能楽評論家・金子直樹先生とアシスタントゲストとして女優・石田ひかりさんの対話形式で進みました。Eテレ『にっぽんの芸能』にご出演されていた石田さんは番組を通してさまざまな古典芸能に親しまれましたが、そのなかで能楽に一番惹かれるのだそう。今年の「渋谷能」公演のテーマは「直面」(ひためん・シテ=主役が能面をかけずに演じること)。今回は『夜討曽我』という曲目に「大藤内」という小書(こがき・特殊演出のこと)が付く形式で、間狂言の演じる役がコミカルに描かれています。

引き締まった笛と大小の鼓の音が、舞台全体の空気を変えていきます。しばらくして現れたのは、弓矢を携えた十郎祐成・五郎時致の兄弟と従者の団三郎・鬼王。巻狩(まきがり)の出で立ちです。4人の勇ましい謡い出しの後、兄の十郎が名乗り境遇を語ります。源頼朝が催す富士の裾野での巻狩に兄弟の父の仇である工藤祐経が同行するということで、祐経を襲うつもりでやってきたのです。
仇討ちで自らの命も失うかもしれないと考えた兄弟は郷里に住む母を思い、従者ふたりに形見の品を託すつもりでした。「確かに聞け」と命ずる十郎の声からは、決死の覚悟が伝わってきます。しかし従者二人は主の命令を突っぱねました。兄弟に長年仕えてきたのは、ともに仇討ちし討ち死にするためであり、本懐を遂げられないのであれば帰らないというのです。さらなる十郎のきつい言いつけに逡巡する従者二人。帰るのは本義ではないが、帰らないのは主の意に背くことになる。いずれにしても命を捨てるのならば刺し違えようと思い詰める団三郎と鬼王に、五郎が慌てて割って入ります。仇を討って兄弟が死んだら、それを誰が母に伝えるのか。命に背くのであれば主従の縁を切るとまで言い切る十郎。十郎の語りから謡、そして地謡にうつって心情が描かれます。日が暮れ夜の気配も感じられる頃の、主従の涙ながらの別れとそれぞれの男気が心に染みる場面です。


▲能「夜討曽我」観世淳夫(撮影:辻井清一郎)

従者に続いて兄弟も退場。小鼓・大鼓の弾む音が次の場面を引き寄せます。間狂言では“この辺りの者”と、女装した大藤内という人物の掛け合いで展開します。大藤内は祐経の客人で接待を受けていたのですが、夜討をかけられ命からがら逃げてきました。女装しているのは人目をはばかるため。襲われて大騒ぎになっている現場や祐経の最期を目の当たりにしたことで随分と怯えていました。そんな彼に対し、話を聞いた男は「肩先から大きく切られているぞ」「曽我兄弟が討ってくるぞ」などと脅してからかいます。そのたびに驚きおののく大藤内の滑稽さが笑いを誘いました。

後場も勢いのあるお囃子の音から始まります。揚幕が素早く上がり、4人の武者が登場。彼らは頼朝の家来衆で、祐経を討った五郎を狙っています。続いてお囃子がさらにアップテンポとなり、再度揚幕が激しく上がると五郎が出てきました。松明を持ち、抜刀した状態で橋掛かりから辺りをうかがっています。仇討ちの本懐は遂げたものの十郎の姿が見えず、もしや討たれたのではと気持ちが落ち着きません(場面としてはありませんが既に十郎は討ち死にしています)。ほどなく頼朝の家来と鉢合わせになり、斬り合いに。勇ましい地謡が緊迫した戦いの様子を描いています。五郎は追っ手のひとりである古屋五郎を倒したものの、女装して目を眩ませていた御所五郎丸には敵わず、縄取に背後から襲われ捕縛されてしまいました。そのままの勢いで退場となり、舞台は終わります。

公演後はアフタートーク。まずは友枝雄人師(シテ方喜多流)、成田達志師(小鼓方幸流)と十郎役の片山九郎右衛門師が舞台に登場。成田師と片山師は幼い頃から京都で研鑽を重ねてきた仲とのこと。友枝師は「直面物には仇討ちの話が多い」とし、仇討ちそのものよりもそこに至るまでの心理描写が大切だとコメント。一方片山師は兄弟の生い立ちを背景に、(作者は)仇討ち前の日常を描きたかったのではと見解を示しました。また、物語後半に見える“死にゆくものの美”“敗者の美しさ”といった前半との対照が本質なのではというご意見でした。遅れて舞台に現れた観世淳夫師はシテの大役を務められたばかり。まだ28歳ということで、「渋谷能」のシテとしては最年少です。シテをもらうのは大変なことであり、コロナで大変な時に延期公演となったが実現できて嬉しかったこと、さらに直面ということで顔が見えるプレッシャーを感じながら舞台に立ったことを語ってくださいました。

 出演者スペシャルインタビュー|シテ方・観世淳夫師

■能楽師と曲は巡り合わせ
「渋谷能」のチラシを見ると「30代の能楽師~」と書いてありますが、僕はまだ30歳になっていないですよ(笑)。ともあれ、「渋谷能」の第一夜、トップバッターです(※)。年齢がすべてではないですけれども、やはり経験値は違いますよね。圧倒的に僕は経験が少ないですし、埋められないところではあります。僕は勉強家なほうではないですしね。最初に『夜討曽我』のお話をいただいたときに「ちょっと僕は違うんじゃないですか」なんて思いました。「渋谷能」出演のシテ方として、(鵜澤)光さんはわかるのですが、僕はまだ経験不足だから違うんじゃないかと。それで最初は躊躇していました。父(9世観世銕之丞師)に相談したら「自分で決めなさい」と。能楽師が何の曲をやるのかは巡り合わせなので、やらないで一生終える曲もあると思いますし、よく出ている曲でも自分はやっていない曲もあるでしょう。せっかく機会を与えてくださっていることですし、不勉強で力不足でもやらせていただくことにしました。『夜討曽我』のシテ、やったことがない曲をやらせてもらえるのは本当にありがたいことです。
(※)新型コロナウイルス感染拡大の影響で、10月に延期公演が催されました。

■「両シテ」の片翼として
曽我物、敵討ちというのは非常にシンプルなお話でテーマとしてわかりやすいですね。歌舞伎では「伊賀越え」「忠臣蔵」「曽我物語」が三大敵討ちとして“一富士二鷹三茄子”に擬えています。一富士は富士の裾野で巻狩をしている曽我物、二鷹は「忠臣蔵」で浅野内匠頭の家紋が鷹(違い鷹の羽)。三茄子の伊賀越えはこじつけなんですけれども、あの辺りの名産がナスといわれているようですよ。そんな話があるくらい人気のあるジャンルです。能でも曽我物は役として十郎・五郎の兄弟が出るのですが、両シテみたいなものだと思います。どちらも大変な役どころでしょう。今回は五郎(シテ)の兄・十郎を僕の叔父さん(10世片山九郎右衛門師)がやるということで、特に何か思うことはないのですが、「この場面は重くすると出づらい」など、細かいところはフォローをもらいました。曽我兄弟の従者である鬼王・団三郎って、とてもいい役なんですよ。あれは本来、兄弟役のそれぞれの師匠がやるものだそうです。だから父がやった時にはお祖父さん(8世観世銕之亟師)がやりました。今回は銕仙会の大先輩二人にやっていただくことになりました。

シテを務めるにあたっては、過去の先輩の舞台のDVDを借りて観てみました。切り組みの部分は特に決まってなかったりするので参考になりました。一回観るとなんとなくイメージしやすいというのはありますね。日頃から先輩方の舞台を観ることが理想なのですが、『夜討曽我』はあまり観る機会がなかったものですから。現在物を多くやってはいないし、本番ぎりぎりまで試行錯誤していくと思います。話自体はわかりやすいと思いますので、楽しんでいただければ一番です。

■直面だからこそ見つけた課題
コロナウイルス感染拡大の影響で、仕事が大幅になくなりました。国や自治体主催の公演は軒並み中止でしたね。個人の会まで中止にしてしまうと崩壊してしまうので、開催しているところもありました。そこへ出させてもらえるのは本当にありがたかったです。能は音楽のライブと違ってお客さんは叫ばないので、甘いと言われるでしょうがまだ少しはいけるのかなと思っていました。「渋谷能」でも4月の第一夜公演が延期となって、いつできるかわからなかった時はどうしようもない思いでしたね。「年内の延期は無理なんじゃないか」と正直思っていました。延期公演が10月と定まった時にはホッとしました。

直面ということで、視界が広い分イメージ通りに動けるかと思っていましたが、実際舞台に出てみると思いのほか動くのがきつく、難しかったという感想です。プレッシャーもあったと思います。また、声の出し方も意識しました。後場では囃子が激しいですから、意識して声をより張ってみました。ともあれ、実際に舞台に立てて本当に安堵しました。



■「当たり」は人それぞれ
新しく能に興味をもってもらえるよう何か積極的に動いているわけではないですが、企業に勤めている友人が社内企画などについて発言ができるくらいにはなったようで、会社の勉強会の一環として呼ばれたりします。銕仙会でも「ふらっと能楽体験」として体験ワークショップをやっていますね。ただ、何が「当たり」かはわかりませんよね。何に惹かれるかは人によってそれぞれですから。曲の解説をしながら「ここが見どころです」と言っても、やる側としては見せ場かもしれませんが、そこではないちょっとしたことに心が動くお客さんもいらっしゃいます。楽しみ方だって「装束が好きです」「面が好き」というだけで観に来られてもいいわけです。お囃子、謡など一部を楽しむのであってもいいんです。まずは(観に)来ていただきたいですね。

*この記事は緊急事態宣言前の3月末と延期公演後の10月にインタビューしたものを元に作成しました