2020年12月4日(金)
『渋谷能』第四夜 千秋楽

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクト「渋谷能」。2年目となる2020年は、観世流・金剛流・金春流それぞれの公演と五流儀が揃う千秋楽の全四夜を上演しております。

公演レポート第三弾は、コロナ禍で延期となった第二夜を前に、一足早めの千秋楽レポートをお届けします。

千秋楽公演は、シテ方五流の仕舞・舞囃子・一調と狂言『宗論』とバラエティに富んだ番組でした。(第二夜『内外詣』は3月に延期公演)能楽評論家・金子直樹氏の解説の後、2019年の「渋谷能」でそれぞれシテをつとめられた方々が謡や舞の技を披露してくれました。

■仕舞「三輪」 中村昌弘(金春流)

トップバッターは金春流・中村昌弘師による仕舞『三輪』。仕舞は地謡の謡に合わせてシテが謡い舞う形式です。人間界に降りた神が人間の女性と契りを結ぶという神婚伝説を元に作られた物語で、相手の素性がわからず不安になった人間の女性が、帰る男の服に綴じつけた糸を辿っていき、その正体が三輪の神だと知る場面をクセの舞で表現します。厳かな、そして切なさもたたえた謡とともに舞う姿に心を打たれます。

■舞囃子「清経」髙橋憲正(宝生流)
 

続いて、宝生流・髙橋憲正師による舞囃子『清経』。舞囃子は地謡に加え囃子が入ります。平清経は敗色濃い平家の将来に悲観して船から身を投げて自らの命を絶ちます。残されてやり場のない憤りと嘆きに苛まれる妻の元に現れた清経の亡霊は、死に至るまでの辛苦を訴えつつ、襲いくる修羅道の苦しみに悶えます。この舞では開いた扇とは別に、もう一つ髙腰に差していた扇を閉じた状態で取り出し、刀に見立てて修羅の凄惨な様を表現します。

■舞囃子「阿漕」佐々木多門(喜多流)

喜多流・佐々木多門師による舞囃子『阿漕』では、漁師の仕事道具である魚とりの網が舞の道具として使われます。生きるための術であっても、漁師の仕事は仏の道から見れば殺生の罪となります。舞囃子では緩急がきまった調子の中で、亡霊となった漁師が僧に救いを求めながら生前の漁の様子を再現します。魚をとる面白さを思い出してしまった罪深さや終わりのない苦しみ、永遠に逃れられない業や因縁を感じさせられる舞でした。

■一調「勧進帳」鵜澤光(観世流)

一調とは、謡と囃子の楽器一つを合わせて上演する形式をいいます。観世流・鵜澤光師は『勧進帳』で亀井広忠師の大鼓と一対一の真剣勝負のような凄みのある謡を披露。能『安宅』で、安宅の関守からの嫌疑をかわすべく、武蔵坊弁慶が適当な巻物を勧進帳に見立てて堂々と読みあげた場面です。謡と大鼓の気迫ある掛け合いが、危機に陥った義経一行と難局を乗り越えようと挑む弁慶の姿を想像させてくれます。緊張感が心地よい舞台でした。

■仕舞「融」宇髙竜成(金剛流)

金剛流・宇髙竜成師の仕舞『融』では、嵯峨天皇の皇子として生まれながらも臣籍降下した源融のありし日を舞います。難波の海から潮水を取り寄せて塩竃の塩作りの真似事をするなど大掛かりな遊びを愉しむも、その死後は邸宅も荒れ果て昔を見る影もなく……。月の光に照らされた融の亡霊は塩作りを再現。謡に合わせての舞は上級貴族の品格そのままに、かつての栄華を思い出すかのような、美しさのなかに垣間見える寂しさに胸が締め付けられます。

■狂言「宗論」

今年度の「渋谷能」ではあらたに狂言も加わりました。しっかりした狂言を観ていただくという想いで選ばれたのが『宗論』という曲目です。異なる宗派の僧が論争するといいう物語のなかで、浄土僧をつとめるのは京都の茂山家から逸平師、そして法華僧は東京の山本家から則重師。東西の大蔵流の競演というのも楽しみのひとつです。
冒頭の囃子の調べを聞いているうちに、黒笠をかぶった人物が登場。手には数珠を持ち、「南無妙法蓮華経」と唱えたことから法華僧だとわかります。京から身延山(法華宗の本山)へ参詣したようです。続いて現れたのが、やはり同じく笠を被った僧ですが「南無阿弥陀仏」と唱えています。先ほどの法華僧とは宗派が違うよう。彼は東山黒谷(浄土宗・金戒光明寺)の僧で善光寺参詣の帰りとのこと。それぞれに道連れがほしかった二人は街道で出会い、一緒に帰京するよい仲間ができたと盛り上がります。
それもつかの間、相手の宗派を知った途端に互いの悪態をつく始末。浄土僧を避けようとした法華僧ですが、浄土僧がしつこく食いついて離れません。宿にまで押しかけられてつきまとわれ、再び互いに相手の宗派について“口撃”合戦にまで展開してしまいました。それぞれの開祖である法然・日蓮両上人というビッグネームを出してまで相手への攻めを緩めない両者の争いは、数珠で殴り合うような勢いで激しく繰り広げられます。
ついには、仏の道についての教義や解釈を互いに議論すること(宗論)で、どちらか有難いと思った方が相手に弟子入りするという話に。勢いあまる法華僧、浄土僧はイキイキとしながらもちょっとおどけた雰囲気です。どちらも相手を認めません。
同じ大蔵流ではありますが、茂山家のもつやわらかな調子と、山本家の厳格な雰囲気との違いが、異なる宗派間の論争という場の大きな演出になっているようです。真面目な宗論のはずなのに、狂言ならではの大袈裟で滑稽な両者のやりとりに、見所(観客席)からは幾度となく笑い声が起こりました。翌朝、朝のお勤めを発端としてまたもや戦いが勃発。念仏と題目の大合戦です。勢いづいて踊り念仏や踊り題目まで披露することになるのですが、何故かだんだんと興が乗ってきました。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経……と繰り返し激しく唱えるうちに、うっかり互いの念仏・題目を取り違えてしまいます。まるでエール交換のように見えました。
ハッと我に返る二人は気づきます。なぜ宗論で争ってしまうのか、本来仏の道に法華経だの阿弥陀仏だのという区別や隔たりは無いはず。仏の道、人としての道として目指すべき目標は同じなのだと悟った二人は仲直りして終わります。
大きく笑わせられた後に、ふと考えさせられた舞台でした。

■クロージングトーク

公演の最後はクロージングトーク。金子直樹氏の進行のもと、出演者との一問一答など興味深い話を聞けました。シテ方五流の皆さんは、「渋谷能」とのかかわりや他流の方々と競演することについて、様々な想いを語ってくださいました。
そして、舞台を終えたばかりの逸平師と則重師も途中からトークに参加。狂言を公演の最後に持ってくるのが珍しいことや、互いの役を入れ替えたらどうなっていたかなど、独自の見解で楽しく話してくれました。

出演|中村昌弘(金春流)、髙橋憲正(宝生流)、佐々木多門(喜多流)、鵜澤光(観世流)、宇髙竜成(金剛流)、茂山逸平(大蔵流)、山本則重(大蔵流)
司会|金子直樹(能楽評論家)
撮影|辻井清一郎