2021年12月3日(金)
『渋谷能』第二夜 宝生流

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界を結ぶ注目のプロジェクト「渋谷能」は今年で3年目を迎えました。喜多流・宝生流・観世流それぞれの公演とシテ方五流儀と和泉流狂言が揃う千秋楽の全四夜を開催します。
公演レポート第二弾は第二夜の宝生流公演をお届けします。山姥とはいったい何者なのか!想像を膨らませてお楽しみください。


2021年11月24日(水)|事前講座

第二夜『山姥』の事前講座では、シテをつとめられる宝生流・和久荘太郎師が講師としてご登場。まず深く一礼して自己紹介した後は「渋谷で“ヤマンバ”といえば――」と、かつて一部の若い女性の間で流行ったメイクやファッションを参加者に思い出させ、一気に場が和みました。

今シリーズでは「雪月花」というテーマに沿っての公演がラインナップされています。この『山姥』は秋の曲ではありますが、雪も花も月も出てくるため、テーマすべてを包括するような曲目なのかもしれません。

山姥とは何者なのか、なぜ恐れられているのか。曲の中では、白い髪、赤い顔、目には星がきらめいてまるで鬼瓦のようだと表現されています。ただそれは、実体のないものに対して人の心が勝手に恐れ(畏れ)ているだけなのではないか、物語では、山姥が薪を背負って木こりを手伝ったり、機織りを手伝ったりする優しい面も謡われているとのことです。

続いてはあらすじを紹介。都でもてはやされている芸達者な「百万山姥」(ツレ)と呼ばれる遊女の善光寺参り、険しい道を選んで進んだ先で出くわす不思議な現象、そして山姥(シテ)との出会い――。百万山姥と山姥との対話で繰り広げられる問答、シテの舞う様などの詳しい解説や見どころの紹介も。「とらえどころのない曲」と紹介しつつも、「考えすぎないでボーッと観てもらっても」というアドバイスもありました。

事前講座では、普段見られない企画を楽しめることが魅力のひとつです。今回は、前シテ・後シテの装束付けの披露。「本来楽屋裏を見せるべきではない」と和久師は話されていましたが、目の前で能装束が付けられる様子を拝見できたのは貴重な体験でした。

大きな風呂敷で包まれたものと床几を持ったシテ方の先生方が3人舞台に登場。そのうちのおひとりが2019年「渋谷能」の『藤戸』でシテをつとめられた髙橋憲正師。今回の『山姥』ではツレの百万山姥のお役です。和久師によると、装束付けには向き・不向きがあるとのことで、髙橋師はとてもお上手なのだとか。

装束付けのモデルをつとめたのは上野能寛師。装束付けを担当する他の先生方は襟、箔(はく)、唐織(からおり)と素早く付けていき、和久師がそれを都度解説していきます。装束の色に赤い色が入っているかいないかによって人物の年齢を表すとのことで、これをイロ(紅)入り・イロナシと呼んでいるそうです。今回のシテは年を経た女性なのでイロナシです。落ち着いた地色ではありますが、鮮やかな刺繍が印象的でした。頭に着ける鬘(かつら)は馬のたてがみから作られたもので、その場で結うとのこと。紐で仮止めする際にも呼吸を合わせながら進めていきます。頭、頬、首の形にそって整えながら形作っていくことはなかなかできるものではないそうです。元結(もとゆい/もっとい)という白い紐で締めて仕上げます。唐織を締める際にも、襟元を立体的に見せるようにしっかり締めます。額を締める飾り帯である鬘帯(かつらおび)を付けた後は、いよいよ面(おもて)。今回は曲見(しゃくみ)という、少し歳を重ねた女性の面でした。シテは面に一礼してから付けてもらいます。装束付けが整い、唐織の構えを見せてくれました。ちなみに、ツレの百万山姥はイロ入りの装束で同様の格好をし、小面(こおもて。若い女性の能面)を掛けることでシテの山姥と対照的な姿を見せるということです。

▲髙橋憲正師(一番左)、和久荘太郎師(一番右)

前シテの装束から後シテの装束に替わる早ワザも見ものでした。本番の舞台では間狂言が出ている限られた時間内で着替えます。シテは自分で着替えず、後見が10分足らずの時間で間違いなく装束を付けていかなければなりません。ここで見せてくれた後シテは、紺色の襟、山道模様の装束を使った着付け。頭には「シャッポ」と呼ばれる帽子を被ります。シャッポはフランス語の帽子(chapeau)が由来ということで、ちょっと面白いですね。この上に山姥の白頭(しろがしら、白い髪)を付けていきます。白頭はただ年を取っているだけではなく、霊的に暗いが高くなったことを表しています。面は赤みがかかった「山姥」。白い布が巻かれ、木の葉が付いた杖(鹿背杖、かせづえ)と菊の柄があしらわれた中啓(ちゅうけい、扇の一種)を持って完成。参加者からも大きな拍手が沸き起こりました。本番では全く異なる装束を付けるとのことで、お楽しみに……とのことでした。

最後は和久師と髙橋師の掛け合いトーク。お互いに褒め合う様子が微笑ましく見えます。おふたりは2歳しか歳が違わないそうで、先輩後輩の間柄であっても「ほぼ同じ年代ということで拮抗する」そうです。『山姥』ではシテとツレとして同じ舞台に立つのを観るのが楽しみになりました。

最後に、老舗和菓子屋の若手の皆さんで構成された「本和菓衆」(ほんわかしゅう)が『山姥』にちなんで創作したお菓子についての紹介もありました。これは公演後にご来場のお客様に配られるそうです。

※講師:和久荘太郎師(シテ方宝生流)
※会場:セルリアンタワー能楽堂

事前講座の動画はこちら

2021年12月3日(金)|第二夜 宝生流『山姥』


公演のはじめに、能楽評論家・金子直樹先生と女優の石田ひかりさんによる対話形式での解説。金子先生は「久しぶりの満席ですね」と笑顔でした。
「雪月花」がテーマという今シーズンの渋谷能で「月」として選ばれた曲目が今回の『山姥』です。それほど難しい話ではないとしつつも、「わかりやすくてシンプルですが、とても深いですね」と能楽にも詳しい石田ひかりさんのコメントがありました。

物語の最初に出てくるのはツレの百万山姥(ひゃくまやまうば)という遊女。若くて容姿端麗、そして彼女が舞う山姥の曲舞が大流行しているという設定です。そんな彼女が親の追善のために信濃国(今の長野県)・善光寺へ参詣するところから話が展開されていきます。様々な見どころ、聞きどころをおふたりに語っていただきました。

そしていよいよ上演。お調べの後、囃子方、地謡が舞台に着座し、囃子が始まりました。勢いがあり確かな笛の音に続き、はじめは控えめに聞こえていた大小の鼓の音は、次第に調子と張りが出てきました。揚幕が揚がり、従者(ワキ・ワキツレ)を連れた遊女・百万山姥(ツレ)の登場です。威厳を感じさせるような、売れっ子としてのプライドが見えるような佇まいです。ワキは、彼女が都で山姥の山めぐりを曲舞として見せたところから人気を博して百万山姥と呼ばれていること、また善光寺参りにいくことを語ります。途中、越後・越中の境川まで出た時に、三つのルートがあり、阿弥陀如来も通ったといわれ浄土への道にも例えられている最も険しい上路(あげろ)の山を選びます。女人の脚では難しいと里人(アイ)に言われても、険難な道を敢えて進もうとする百万山姥の志の固さ、気性が感じられます。

突然、道中で急に日が暮れたように暗くなります。日はまだ高いのに、暮れる時間ではないはず……と不思議がる一行に声を掛けてくる山の女(前シテ)が現れました。上路の山なので人はいない、日が暮れたから自分の庵で一夜を明かしなさいと宿を勧める女にホッとする一行。

庵に招き入れた山の女は、百万山姥に山姥の歌を乞います。そのために日を暮れさせて宿が必要になるようにしたと。従者は誰だと思って歌を所望するのかと問うたところ、山の女は一行の女性が今をときめく百万山姥だと知っていました。彼女は語ります。山姥とはどのようなものか知っているのか、山に棲む女が山姥であるというのならば、自分こそが山姥である。それなのに百万山姥は、山姥を歌い舞い名声を得ても本物の山姥の事など全く気にかけてもくれないではないか。曲舞を手向けてくれれば、自分も救われるのだ、とも。

囃子の音も入り、夜の香も強くなってくる気配がします。話を聞いていた百万山姥は、本物の山姥に出会ってしまったのかと恐れつつも、意を決して舞おうとしますが、山の女はそれをとどまらせます。月夜になったら舞ってほしい、その時に正体を見せるからと言い残し、スーッとかき消すように姿を消します。(中入)

山の女が消えた途端、これまでの暗さが嘘のように日差しが戻り、明るくなりました。一行は不思議な体験について話し込みます。また里人は、山姥は山に取り残された靭や古い桶、山寺の古い木戸が化けたものだという説をおかしく語るものの、従者に「鬼女ではなく木戸とは……」と信じてもらえません。

囃子の音が空気を整え、場を作ります。笛の澄んだ音が描く、冴え冴えとした月夜。百万山姥のもとに真の姿で山姥(後シテ)が橋掛かりに現れました。白頭に少し赤みがかかった面、杖を手にした姿で語ります。古から伝わる話を引きながら、世の中の表裏は一体のものであり、善悪はひとつのものであるという哲学的な内容です。しかしここでは言葉の意味を解釈しようとする前に、観客はシテの謡に引き込まれてしまったことでしょう。

この後、シテは本舞台へ。百万山姥は本物の山姥を目の当たりにして恐れると、恐れないでと返す山姥。ふたりの掛け合いでの謡が始まります。白い髪、星のような眼の光、そして赤い顔……という山姥の容貌、鬼がひと口で人を食べたという話(『伊勢物語』)にまでおよびます。謡は地謡が承け、囃子とともに聞こえるシテの足拍子は、畏怖すべき存在が大地を踏みしめるかのような響きでした。

山姥に謡をせがまれ、意を決した百万山姥は曲舞を謡い、やがて山姥も曲舞に合わせ舞い始めます。自然の情景、世の成り立ち、物事の道理を説きながら、仏の道と照らし合わせつつ語る山姥。人ならぬ存在、しかし時々は人に近づきたくて木こりや機織りを手伝う、そんな自分のことを誰かに話してほしい。そんな願いは妄執なのか、すべてを捨てきれないことは辛い――山姥の境遇は寂しく哀れに思われますが、それでも品格や気高さは隠せません。杖をつきながら舞台をゆっくり歩くさま、くるくると身体を翻すさまは、輪廻から抜け出せずに彷徨っているかのようです。

▲能「山姥」和久荘太郎 (撮影:辻井清一郎)

終盤は山姥の山めぐりの場面。シテの舞の見納めです。春の「花」、秋の「月」、冬の「雪」と「雪月花」すべてが謡われています。世間でもて囃されている百万山姥の曲舞は、仏の教えを讃えているものでもあると伝える山姥。妄執の塊となって輪廻から解き放たれることはなく、また不確かな存在のまま、いつの間にか姿を消していました。舞台を観終わってもしばらく不思議な空気が残っているようでした。

幸流小鼓方の成田達志師とシテ方喜多流の友枝雄人師の司会進行によるアフタートークでは、宝生流の『山姥』での舞い方や装束、謡い方についておふたりの感想から。途中でお役をつとめられたばかりの和久師も加わり、舞い終えてすぐの感想や三役(ワキ方、囃子方、狂言方)について、さらには舞台で使った装束や面についても語ってくださいました。

 出演者スペシャルインタビュー|シテ方・和久荘太郎師

■次世代を育ててくれる「渋谷能」で挑戦
「渋谷能」で『山姥』をやるという話が決まった時に、まず「許されるかなぁ」なんて思いました。年齢的にもまだ早いかもしれないという気持ちです。40代ではなかなかさせてもらえる曲ではないのですが、「渋谷能」では次世代を育てていただけるというコンセプトということで、お役をいただいたことに感謝しています。次のステップにも繋がるので大変嬉しいことです。山姥は荒々しいイメージもあるかもしれません。でも私がやるには違うかな、という思いもあります。例えば妖精のような存在、山、自然そのもののような。

まずは、稽古はもちろんですけれども、関連する本などは読みこもうとしました。いろんな芸談、他流派の名人の芸談なんかで、あの人も『山姥』について話していたなとか。宝生流でもこの人は『山姥』についてコメントを残していたなとか思い出して。こういう考え方、解釈の仕方があるのかと。素人さんですが大家の方が『山姥』をやったときのことが書いてあって。その人が習っていたのが大名人の野口兼資先生(宝生流の名人と呼ばれた能楽師)だったりするんですよね。それで、「野口先生はこう仰ってるんだけれども私はこうやった」みたいなことが書いてあったりするんですよ(笑)。

初めての曲だけでなくても、そういう芸論には目を通します。やはりその時その時で曲への向き合い方が変わりますから。自分の過去の映像は残してあるのですけれども、(同じ曲を数年後にやるとしても)絶対に観ないですね(笑)。

■『山姥』がますます“わからない存在”に
実際に山姥を舞ってみて、ますますその存在についてわからなくなりました。だからこそ、またやりたいです。たぶん、あと2、3回はやらないとわからないんじゃないかな。理解しようと思っちゃいけないんだなとも感じました。舞う年齢によっても感じ方は違うでしょう。今の私が思う山姥と、5年、10年後にやった山姥とでは、全く違うものになりますよ。やはりそれまでの人生経験が裏打ちされて、それが滲み出てくるような。これは技術ではないような気がします。特に『山姥』は。もちろん、その時の囃子方や地謡との組み合わせもあるでしょう。お客様の雰囲気にもよります。本当にいいメンバーでやらせてもらいました。私を引きだしてもらえた、私が(舞台に)出る前に空気を作ってもらえました。シテが出る前に場面を設定してくれることはとても大事なことです。今回、ワキ、狂言、ツレがもう作ってくれているんですよね。もう真っ暗な場がある。

後シテが出る際の謡では、山姥の感慨深さや情景を描く場面でした。あの場では墨絵のような情景を描けたらいいなと思っていました。

■舞台で見せるものへの思い入れ
装束や面は家元に選んでいただきました。後シテの装束は久良岐(くらき)能舞台からお借りして壺折(つぼおり)に付けてもらったものですが、宝生流ではあまり使わない色ですね。事前講座でお見せした装束とは全く違う茶色系で。とても合っていましたでしょ? 面は事前講座でお見せしたものと同じ。白頭は事前講座では真っ白なものを使いましたが、本番では内弟子さんにお願いして、真っ白ではないものにしてもらいました。ですから色の対比というか、本番の方が後シテの面(山姥)の赤味はやわらかく見えたかもしれませんね。

杖に付ける葉も探していました。街路樹でいい葉を見つけたんですが、取るわけにはいかなくて(笑)。近くの花屋さんにあった榊を買ってきて、多めにつけて野趣を表現してみたんですよ。生花が舞台に出ると、いいものですよね。

■人生で能楽に触れてもらう機会を
能楽に深く親しんでいただくためには、やはりお稽古をしていただくのが一番です。お稽古を始めるまでにたどり着くのが難しいのでしょうけれども。謡にしても仕舞にしても、気軽に、エクササイズ的に考えてもらってもいいかもしれませんよ。今、体幹が重要視されていますし。ともあれ、お稽古を始めることが一番(能の舞台を)観ることに繋がっていくのは間違いないです。「いやいや私は観る専門でいいよ」という方もいらっしゃるでしょうけれども、もちろんそれでも構いません。別のルートで興味をもってくださる方も多いですね。

事前講座では装束付けをさせていただきましたが、シテ方というのは、主役だけではなくツレ、地謡、後見、そして楽屋働きがあります。この楽屋働きが大事。装束の付け方がわからないと自分でもきれいに着ることはできません。今回はただ装束を着せるだけではなく、楽屋での働きや気といったものを知ってもらえればと思って企画しました。

私は地元・愛知県で3校の学生さんを指導しています。数十人を指導するので精一杯なのですが、彼らにいかに能を好きになってもらうか。そこは商売ではないですね。大学4年のうち、4年フルにはできません。せいぜい2、3年。高校生は受験があるから2年くらい。その期間、短いんだけれども「人生のなかでお能をやった」「芸にこれだけ打ち込んだ」という記憶を刻んでほしいんです。長い目で見て、その後子育てが終わった、定年を迎えたなどの人生の節目を迎えた時に実るものがあればいいなと思います。


■「転んでもタダでは起きない」をモットーに
 まだまだコロナ禍が続くようですが、これまで自分が主催する公演も幾つかなくなりました。それも大きいものを間際になって「ああこれは無理だな」と。結果的には正解ではあったのですが、さすがに落胆しました。まいったな、先が見えないと状態で。そういうときに、お弟子さんの稽古をなんとか続ける、お弟子さんが何とかやりたいと思ってくださっている気持ちを大事にしようと、オンライン稽古などもやってみました。それから動画撮影をしたものを見せて稽古してもらったりね。お仕舞は難しいところもあるのですが、謡はオンラインでもできる、どこでもできるんだということがわかってきまして。例えば転勤で東北や北海道、さらには海外まで行くことになったという方でも「あ、やれるな」と実感できました。コロナ禍で新たに導入した方法も、悪いことばかりではないなと気付きました。遠方に住むお弟子さんには、引き続きオンラインで稽古してもらっています。完全な手段というのはないかもしれませんが、ひとつの方法としてはよいのかと思います。「転んでもタダでは起きない」(笑)、それをモットーにしています。