2022年3月4日(金)
『渋谷能』第四夜 千秋楽

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界を結ぶ注目のプロジェクト「渋谷能」は今年で3年目を迎えました。喜多流・宝生流・観世流それぞれの公演とシテ方五流儀と和泉流狂言が揃う千秋楽の全四夜を開催します。
今回お届けするレポート第四夜は、“源氏物語”をテーマにした曲の競演と、和泉流三宅家による狂言でフィナーレを迎えました。

「渋谷能」千秋楽は五流シテ方の立ち合い競演に狂言が加わった番組です。シテ方による仕舞が2番、舞囃子が3番。共通するのは、どれも『源氏物語』が題材であること。また狂言は、30-40分程の少し長めの上演時間の曲『止動方角』を上演しました。

最初と二番目はどちらも仕舞『葵上』(枕ノ段)。『葵上』という曲名ではありますが、シテは源氏の正妻・葵の上ではなく六条御息所の生霊です。源氏が自分から遠のいてしまったこと、そして賀茂祭で葵の上との車争いに敗れたことで、屈辱感と怒り、嫉妬が抑えきれなくなった六条御息所が生霊となって葵の上の枕元に現れるのです。流儀や個性の異なるシテ方おふたりの舞を見比べて味わえるという番組の趣向でした。

■仕舞「葵上 枕ノ段」佐々木多門(喜多流)

トップバッターをつとめるのは喜多流・佐々木多門師。金色の扇を携えての舞は、六条御息所の深くて暗い情念を表すかのようです。葵の上に対する恨みの心、どうしようもなく迷い出ずにはいられなかった激しい感情の高ぶりを謡と舞で見せてくれました。

■仕舞「葵上 枕ノ段」和久荘太郎(宝生流)

次に舞うのは宝生流・和久荘太郎師です。こちらも金の扇をひるがえし、六条御息所の張り裂けそうな心の内を舞に映し出します。視線のやり方ひとつにも、魂が身体を離れるほどに思い詰めた貴婦人の恐ろしさ、そしてあわれさを感じられました。

続いては、舞囃子の三番。

■舞囃子「源氏供養」中村昌弘(金春流)

金春流・中村昌弘師による『源氏供養』では、『源氏物語』を書いたことで仏教の教えでは戒められる「妄語」(嘘をつくこと)を犯した紫式部がシテとなります。地謡にのって舞う長い「クセ」が特徴。謡のなかには『源氏物語』の巻名が幾つも読み込まれているのを聞くのも楽しみのひとつ。ゆったりとした情感たっぷりの舞を堪能できました。

■舞囃子「浮舟」鵜澤光(観世流)

『浮舟』は『源氏物語』宇治十帖に登場する浮舟をシテとする曲目。観世流・鵜澤光師の謡に思わず聞き入ってしまいます。そして舞に見えるのは、ふたりの男性の間で惑い続け、死後も寄る辺なく僧の法力に頼るしかなかった浮舟のはかない身の上。弔いを受けて執心が解けた安堵と嬉しさが感じられた瞬間――音もなく消えてゆく、その余韻が心に染みます。

■舞囃子「須磨源氏」宇髙竜成(金剛流)

須磨は若き日の源氏が下った場所。『須磨源氏』では、死後に兜率天(とそつてん。天界のひとつ)を住処としていた源氏が現世に現れ、往時を偲びながら舞を見せる場面があります。金剛流・宇髙竜成師が舞うのは、華やかで颯爽とした早舞です。囃子のノリが心地よく、溌溂として気品あふれる平安のプリンスを際立たせているようでした。

■狂言「止動方角」

狂言『止動方角』(しどうほうがく)は、茶競(ちゃくらべ。お茶を飲み比べて銘柄や品質を当てる催し)に参加することになった主人(三宅近成師)が、太郎冠者(三宅右矩師)に茶競で必要な良質の茶や茶壷、そして太刀や馬を伯父(野村万蔵師)から借りるように命じるところから始まります。なんとかして諸々のものを借りた太郎冠者は、伯父からその馬(金田弘明師)が咳払いの声で暴れ馬になってしまうこと、そして馬を落ち着かせるための呪文を教えてもらいます。

荷物も多く、やっとの思いで主人のもとへ帰った太郎冠者ですが、今か今かと待ちわびていた主人から怒りをぶつけられます。主人が馬に乗ったのを見た太郎冠者は、ここで咳払いをし、馬を暴れさせ主人を落とそうと反撃するのです。

咳払いと呪文で馬をコントロールさせた太郎冠者が、主従入れ替わって主人に尊大な態度をとるところなど、思わず笑ってしまう場面が随所に散りばめられています。和泉流独特のなごみある空気感が、観ている私たちを豊かな笑いの世界に連れていってくれました。

■クロージングトーク

最後はクロージングトークで締めくくり。
先程まで舞台に立たれていた皆さんが、再び登場されました。2019年から始まった「渋谷能」の振り返りや思いを話してくれました。またそれぞれの今後の公演予定やこれからの目標など、熱い語りも聞くことができました。

「渋谷能」は2022年度も続きます。
 趣向を凝らした企画や新しいテーマで公演を重ねていきます。
 皆様、セルリアンタワー能楽堂でお会いしましょう。

出演|佐々木多門(喜多流)、和久荘太郎(宝生流)、中村昌弘(金春流)、鵜澤光(観世流)、宇髙竜成(金剛流)、三宅近成(和泉流)、三宅右矩(和泉流)
司会|金子直樹(能楽評論家)
撮影|辻井清一郎