2021年3月19日(金)
『渋谷能』第二夜 金剛流

能楽の未来を担う若手能楽師が流儀の垣根を越えて集まり、現代と伝統の世界とを結ぶ注目のプロジェクト「渋谷能」。2年目となる2020年は、観世流・金剛流・金春流それぞれの公演と五流儀が揃う千秋楽の全四夜を上演いたしました。

公演レポート第四弾は、コロナ禍で2020年6月から延期となり今回の「渋谷能」最終章を飾ることになった第二夜をお届けします。

2021年3月17日(水) |事前講座

事前講座は、『内外詣』のシテをつとめられたシテ方の金剛流・金剛龍謹師による、やわらかな京都のイントネーションでの解説が印象的でした。まずは用意されたプリントを元に曲目の解説から。

『内外詣』はシテ方五流のなかで金剛流のみが舞う曲目。“内外”とは、皇祖神・天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮を指し、伊勢の両宮へのお参りをいいます。とはいえ、神宮そのものにしっかり触れているわけではないのだとか。物語は勅使が都から伊勢へ参拝するところから始まり、現地では伊勢の神官(シテ)と神子(巫女、ツレ)の出迎えから展開していきます。

この曲目のメインはシテによる獅子舞で、それ以外にも曲中でツレの神楽舞や破ノ舞もあります。「作者は舞尽くしのものを作りたかったのでは」と龍謹師。「舞金剛」とも呼ばれるほど舞の華々しさや優美さが金剛流の芸風と言われていますが、『内外詣』はその魅力を余すところなく堪能できる作品のひとつでしょう。

能では獅子舞を観られる作品が三つあります。ひとつは『石橋』。これは本物の獅子(のお役)が舞うもので、紅白の親子獅子が登場する演出のものが有名です。もうひとつは『望月』で、こちらは仇討の物語のなかで主君の仇を討つためにシテが座興のために舞うもの(「渋谷能」第三夜 金春流『望月』)。そしてこの『内外詣』は神官が獅子を舞います。金剛流ではこれらを「三獅子」と呼んでいるそうです。本物の獅子ではない神官が舞う場合は、あくまでも神事であり祈祷の意味合いをもった舞になります。物語では夜通し舞うという設定で、神官は舞の所々で東の空から日が昇る気配を意識しながら見込むという型があり、そこに注意しながら舞台を鑑賞するのも深く味わえるポイントです。シテの舞が終わると、その雰囲気を保ったままツレの破ノ舞へと続くのですが、この間にシテは舞台の奥で獅子舞から元の神官の姿に戻ります。装束をあらためるには確実で早い作業が求められるため、後見の腕の見せ所でもあるとのこと。最後は日の出時に光を臨む場面で終曲となります。本番の舞台が待ちきれないほど聞きごたえのある解説でした。


▲面を披露する金剛龍謹師

続いて、舞台で使用する面(能面)の紹介。実際にいくつかの面を見せてくださいました。2020年度「渋谷能」は、「直面(ひためん)」というシテが面をかけない曲目がテーマですが、ツレである神子は小面(こおもて、年若い女性の面)をかけて登場します。小面と近江(おうみ)という面を掲げて見比べつつ、龍謹師は「(近江は)シテ用の小面の造形かな」とコメント。加えて、孫次郎(まごじろう)という面も紹介。こちらはシテとしての女面ということで、小面に比べて艶っぽいという印象。シテとツレとでは使用する面を区別して使うのですが、最終的には演じるシテ方の好みで選ばれるのだそうです。曲目や物語の登場人物の性質によってどのような面が使われるのか、さまざまなエピソードを取り混ぜた説明もあり、非常に興味深いお話を伺えました。

※講師:金剛龍謹師(シテ方金剛流)
※開場:セルリアンタワー能楽堂

 

2021年3月19日(金)|第二夜 金剛流 『内外詣』

公演前の解説では、女優の石田ひかりさんと能楽評論家の金子直樹先生が拍手で迎えられ登場。「能楽堂で生の舞台を観るのがやはりいい」と金子先生。石田ひかりさんも「公演の配信もあって癒されたけれど、やはり能楽堂で、生で、ライブが一番いいですね」とコメントされました。解説ではシリーズのテーマである「直面」の意味や、東京ではなかなか観る機会が少ない『内外詣』のストーリー展開、場面ごとの見どころ紹介など、おふたりの楽しげな掛け合いで進みました。また、次回の「渋谷能」は「雪月花」がテーマであるとの嬉しい発表もありました。

お調べの音が聞こえた後、囃子方が舞台へ。地謡は喉の下まで垂れた黒い覆面姿。今だからこそ見られる姿です。勢いのある囃子の調子が力強さと程良い緊張感を呼び、観ている私たちを物語へと誘います。
勅使の一行(ワキ・ワキツレ)が現れました。ワキの名乗りで彼らが帝の命を受けて伊勢へ向かっていることがわかります。道行の謡に聞こえる矢走の浦、鈴鹿川、関の戸など、旅路に思いを馳せているうちに一行は伊勢へ到着。やがて神子(巫女、ツレ)、しばらくして神官(シテ)が舞台へ。白い装束を身に着け静かに本舞台へ進みます。
勅使が参拝の旨伝えると神官と神子は跪き、勅使の命により神官が持っていた扇を御幣に替え「謹上再拝~」と祝詞(ノット、のりと)を上げます。この時独特の調子で囃子があり、大小の鼓に合わせての祝詞は地謡が受け、シテは幣から扇に戻しての謡と舞になります。能楽堂全体を震わすような金剛龍謹師の謡に圧倒された方も多いのではないでしょうか。続いて勅使は神楽の舞を所望すると、神官が神子に命じて神楽舞を舞わせます。シテはそこでいったん中入り。このツレの舞でも扇ではなく幣を持つのですが、シテが持っていた幣とは異なるそうです。太鼓も入り、次々とテンポが変わる囃子に合わせての神楽舞は、見所にいる私達にも祓いと寿ぎを与えてくれるような場面でした。

 ツレの舞が終わると、少し間があってから小鼓と太鼓の音で“静寂”な空間となったかと思えば急に激しくなり、鼓を打つ際の声も強くなります。揚幕が上がり、獅子の扮装をしたシテが颯爽と現れたかと思えば、身をくるくると翻します。ここでの獅子の姿とは『石橋』にあるような姿ではなく、短めの赤頭に金の扇を2本広げて額に付けています(『望月』でシテが余興として舞った時の獅子と似ています)。手で袖口を持ってピンと張り、頭を左右に振ったり天を仰ぎ見たりする動きは獅子の舞の特徴です。勇壮で端正な「舞金剛」を目の当たりにできる場面です。


▲能「内外詣」金剛龍謹(撮影:辻井清一郎)

舞い終わったシテは後見座へ下がり、獅子舞の高揚感を保ったまま今度はツレの破ノ舞へ移ります。激しくテンポの良い舞。実はこの時、ツレは後見座のシテの様子を伺いながら舞っています。この間シテは元の神官の装束に替わる(物着)のですが、後見は短い時間でシテを“早変わり”させます。後見のひとりは正面席に背を向け、それまでシテが着ていた装束を広げ掲げてシテの着替えを観客に見せないようにしています。華やかな装束の陰でシテはあっという間に元の姿になり、ツレの舞が終わるのと入れ違うように再度舞台へ。晴れ晴れとした雰囲気を感じさせるのは、時が移って日が昇ってきたからでしょう。物語の終盤、神宮の栄えをめでたく寿ぎました。最初から最後まで寿ぎの空気に癒されつつ、見ごたえ十分の舞台でした。

公演後は小鼓方幸流・成田達志師とシテ方喜多流・友枝雄人師の進行によるアフタートーク。途中からシテをつとめられた龍謹師とともに今回の曲目や流儀についての興味深い話が展開されました。

 出演者スペシャルインタビュー|シテ方・金剛龍謹師

■緊急事態で見えた可能性
コロナウイルス感染症拡大の影響で、昨年は3月くらいからほとんどの公演が延期・中止になりました。ただ、春に中止になった流儀の催しが年末に延期公演として予定に回ってきまして、非常に立て込んだ時期もありましたね。お弟子さんへのお稽古は(昨年春の)緊急事態宣言の頃はZOOMを使うなどリモートでやりましたよ。謡は(師匠の謡を弟子が)オウム返しでやっていくのでよかったのですが、お仕舞となると型を見せなければならないのが難しくて。仕舞の動画を録って送信し、先に見てもらう方法をとりました。これは偶然ですけれども、スウェーデン在住のお弟子さんがいましてね、その方ともリモートでのお稽古ができました。コロナの影響で対応していたことがこういうところにも広がったので、それはプラスに考えたい点ですね。新しい可能性、形といいますか。流儀で配信している公演なども観てくださっていますが、遠隔地の方にはこんな形もいいんだなと。海外の方たちにいろいろと訴求できる可能性はあるのかなと感じますね。

■本拠地・京都と東京の反応の違い
(金剛流が拠点とする)京都と東京ではお客さんの空気感が違いますね。まず、拍手のタイミングが違いますでしょ。関東の見所(観客席、ここではお客様のこと)は最後に囃子と地謡が(揚幕の向こうへ)入る時にしか拍手をしませんよね。関西では、シテ、ツレ、ワキ……とひとりひとりに拍手をするんです。なので私が初めて東京で子方として舞った時にね、拍手が無くてビックリしたんですよ。それまでは京都で拍手をもらっていたのに東京ではシーンとしていて「なにかマズかったのかなぁ」って思ったのを覚えています(笑)。東西ではお客さんの見方も違いがあるのかもしれませんね。関東の方はきっちり能を観られるというかね。関西の人はおおらかに、皆さんのんびりと観ています。最近はないけれども、見所でお客さんが食べながら飲みながらとか(笑)。昔、金剛能楽堂は桟敷席でしたから、そういう光景もあったみたいですよ。能の途中でも拍手が起こったり。例えば“仏倒れ”できばった時とかにね。ある種、歌舞伎的な感じでしょうか。
実は、私は東京での公演が多くて、月に3、4回ほど東京へ行くこともあります。ですから私自身には東京とはあまり距離感はないんですよ。

■同じ曲を何度も舞ってこそ、身体に馴染んでゆく
「渋谷能」では最初の企画立ち上げの段階からお声がけいただきました。各流儀の若手が揃ってさせていただく機会というのはなかなかないので、ありがたいなと思いますね。2019年のシリーズでは(宇髙)竜成さんの『船弁慶』の地頭と、舞囃子の『雪』をやらせてもらいました。
今回シテをつとめる『内外詣』、この能は清浄さの表現――四番目の能ではありますが、非常に脇能的で。脇能は脇能としての面白さはありますが、それとはまたちょっと違うような。生きている人間が出る脇能、『鶴亀』もありますけれども、なかなかちょっと“よくわからん”曲だと思います。つかみどころが難しい曲ではあります。とにかく舞を見せたい、というのがこの曲の作者の意図ではあるでしょう。
『内外詣』は数年前に一度やったことがあります。やはり流儀の占有曲ということで大事にしている曲なのですが、これからもしっかり舞いたいと思っている曲目です。今までの能楽師としての経験からいうと、(同じ曲目を)2回やるだけではまだわからない、ということです。やはり3回くらいは舞わないと。これからも『内外詣』はどんどん舞う機会はあると思うんですけれども。初演、2回目くらいでは曲についての理解がまだ、3回4回舞っていきたい。身体の馴染み、自然と能へ入っていくという感覚が大事だと思っています。
流儀の得意とする大事な曲を「渋谷能」でさせていただいて、大変ありがたく楽しくやらせていただきました。舞っている方は楽しいですね。初演の時は手探り的なところが多かったのですが、金剛能楽堂での公演でホームグラウンドということもあり安心感がありました。今回はセルリアンタワー能楽堂でということで、アウェイというわけではないですが、そういう意味での緊張感はございました。ここの舞台は非常に見所との距離が近いですから、お客さんとの近い空気感を感じましたね。



■好きか嫌いか判断する前に、まず何かを感じてほしい
能楽についてと申しますか、何事についても同じだと思うのですけれども、まず何か感じてもらわないと始まらない、というところがあります。現代ではエンターテインメントの世界も理解先行というか、理解した上でないと楽しめないところがありますが、能の世界はそうじゃないのではないか。まず何かを感じて、そこからどんどん深まっていくものだと。まずは一度ご覧いただいて、好きか嫌いかを判断するのはその後にと思いますね。もちろん、全員に好きになってもらえるのは難しいとは思うのですが。
能はいろんな入り口があると思うんです。流儀としての能は存在しますけれども、それ以外にも、美術的なもの、例えば面から鑑賞したいですとか、いろんな入り口で自分の気になったところから理解を深めてもらって、そこから是非、新しい気付きを、発見をしていってくれたらと思いますね。
能は実際難しい時期にきていると思います。今回のコロナとか……。しかし、若い役者がこれから先頑張っていかなければいけないのは間違いないわけで。だからこの「渋谷能」を通して、何かいいものをお届けしたいなと思っています。